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第17話

「お前の家へ行くよりも、大学病院の方が俺の家から近かった」 恭一郎は少しだけ申し訳なさそうな表情をしたが、やがて眼鏡の真ん中を押し上げて、ふっと微笑んだ。 圭が大好きな笑顔だ。 「間に合ってよかった……葛城先生からお前がいなくなったと電話をもらった時、心臓が破裂するほどに驚いたぞ」 「姉ちゃんがお前に電話したのか?」 「ああ。そろそろヒートが終わった頃だと思って、弁当を届けに行ったらしい。しばらく家の中で待ってみたが、帰って来る気配がないと、電話の向こうで泣いていた」 そうだったのかと、圭は俯いて奥歯を噛み締めた。 自分のことしか考えられずに、周囲で心配してくれている人達のことにまで、思考が及んでいなかった。 「なぁ、恭一郎?一つだけ、聞いていいか?」 「何だ?」 「お前、なんで俺のことも姉ちゃんのことも、名前で呼ばなくなったんだ?」 「聖さんはもう立派な医師だ。葛城先生と呼ぶようにしたのは、俺なりに敬意を払っているからだ」 「じゃあ、俺のことは?」 どう言えばいいのだろうと、恭一郎は鉄柵に背を預けたまま空を見上げた。 優しい春の陽光がこちらを照らしてくれている。 心まで温まっていくようで、さっきまで苛立ちに苛まれていた気持ちはもうどこかへ吹き飛んでいた。 「名前を呼ぶと、親しいって気がするだろう?」 「まあ、そりゃそうだな……」 「だからかな……」 「は?」 恭一郎は空から圭へと視線を移し、真正面から彼の形のいい目を見据えた。 「お前がΩであろうがなかろうが、俺達は結ばれる運命にあったと理解できたから、お前のことを名前で呼ぶことにした」 「俺、恭一郎の人生を邪魔したくないんだけど」 「なら答えは簡単だ。俺と番になればいい」 「はぁ!?っざけんな!お前、どんだけ俺の邪魔すりゃ気が済むんだよ!?さっきの同意書も返せ!もう一度教授に……」 そこまで言ったところで、圭の腕は恭一郎に強く掴まれた。 「お前、α万能説って信じてるか?」 「信じてるよ!だってお前、何でもできんだろ!?勉強も、運動も……スタイル良くて、顔も良くて……何でも持ってて、何もかもが順風満帆なんだろ!?」 「お前の邪魔をしているのに、本当にそう思うのか?」 「っ!?」 「俺は人間で、お前も人間だ。種別が違うのはどうしようもないが、『俺がお前を好きだから』っていう理由じゃ、番にはなれないのか?」 恭一郎はどこまでも落ち着いていた。 圭の言い分を全て受け入れた上で、自分とて万能ではないのだと言い含め、番になろうと言ってくれている。 「イヤ……じゃないのが悔しい……」 「何だ、それは?」 「だから!番のことだよ!お前の未来を邪魔したくないってのは本心だけど、番になりたいとも思う!俺、Ωなのに欲張ってる!」 「欲張るのは罪じゃない。それにΩであることに負い目を感じるな」 初めに揺れたのは、圭が左側で一つにまとめて垂らしている髪だった。 次に揺れたのは肩、その次に揺れたのは、何かを言いたそうに小さく開かれた口だった。 「圭……」 「俺で……いいのか……?今回みたいに、ヒートに巻き込んじまうかもしれねーんだぞ?」 「構わない。いくらでも付き合ってやる」 「うるさい姉ちゃんがいる……小姑だぞ、あれ。いいのか……?」 そうだった、姉の問題があったのだと、恭一郎は圭に気付かれないよう小さな溜息を吐いた。 聖とのことはもう終わっている話ではあるが、圭と番になるとあれば、もう一度ちゃんと話さなくてはならないだろう。 特に彼女が恭一郎に告白してきたことは、絶対に圭には知られたくない。 「あの人は少しばかり心配性で、弟離れができていないだけだ」 恭一郎は鉄柵から背を放すと、圭の目の前まで移動し、自分より少しだけ身長が低くて細身の彼を思い切り抱き締めた。 「お前がいい……そう思わされた……だから、近いうちに番の儀式をしよう」 「に、逃げたら、ぶっ飛ばすからな……」 「お前こそ、逃げるなよ。俺は肝心なところで肝が据わるタイプだが、お前はその逆だからな」 「何だよ、それ。俺のこと俺以上に分かってんの……ムカツク……」 恭一郎の温もりが心地いい。 昨日まで抱き合っていたはずなのに、随分長い間離れていたように感じた。

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