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あれは、ローターや吸入器じゃ得られない感覚だった。生身の人間にされる乱暴な愛撫。
愛撫って、言っていいのか、判らないけれど。
目の前で食事している晴人に気付かれないようにスウェットの胸を掴む振りで乳首を抓った。布の上からのそれはごわごわしていて、刺激には違いないのに物足りない。
硬い歯で噛まれるのは、痛くて、怖かった。
時々、あやすみたいに舌で舐められて、それが熱くて、ねっとりしてて、
「聞いてるか?」
憤怒したように燃えていた晴人の目に、縛り上げられて、煽られた。
その目は今、普段通り穏やかに無感動でこちらに向かい手を振る。指の長い手だ。この、指が。
「おい、米粒」
「あ、」
惚けた口から箸まで落ちた。晴人の親指が唇のギリギリに触れた。顎を捕らえた手の温度が記憶を増幅させる。その指で体の奥を探られた。射精イったあとの性器をシゴかれて、触られて、潮まで噴いた。目眩がするくらい狂暴で乱暴な接触をした。唇に、ほんの少し、指が触れる。晴人の唇は少し間が抜けた風に空いている。
その唇に、キスがしたいと言われた。
キスをさせてくれたら、射精 せてやると言われた。
「本当に大丈夫か?熱でもあるんじゃないか?」
記憶の中の晴人は獣のように唸る。目の前の晴人は淡白に、あたかも気味の悪いものを見る目で一史を見た。
「熱は、ないです。」
大丈夫です。答えながらこのちぐはぐな感覚に座りが悪い心地がしていた。自分は性的快感に弱い。それは重々に承知している。当たり障りのない普通のセックスも好きだった。 学生の頃はかなりタダレタ女性関係を持っていたこともあるし、グループ・セックスも経験した。
社会人になってからは打ち合わせやらなにやらの付き合いで性風俗にも行った。前立腺マッサージをすすめられて挑戦してからは完全にそれにハマった。アナニーで身を滅ぼすなんて噂も聞いたけど確かにそのくらい俺には『合った』。段々アナルに触らないとイケなくなったし、本物のチンコは怖いからアナルファックはしなかったけど、開発用の玩具が増えた。人様 の家に送りつけられる卑猥な玩具は後ろめたさがあったけど、ばれなければいいと思ってた。
人を傷つけないなら、悪くないと思っていた。
沈黙の中に咀嚼音と時々箸が食器に触れる音がする。
あの晩からしばらくは晴人の一挙手一投足に体が反応した。だがそれも、陽が昇り、落ちるにつれて薄れた。翌日にはそれまでと同じように出社した。起きたときにはすでに行為の痕跡も晴人もいなかった。
陽が高く昇った窓の外を見て、深夜に白昼夢を見たような心地がしていた。
「ごちそうさま」
呆けているうちに食事を終えた晴人が食器を重ねて席を立つ。
「俺、先に風呂入って寝るけど」
「あ、じゃあ次入ります」
まだ残っていた白米を掻き込んで、味噌汁を飲み干す。
「そんなに急かなくていいよ、ゆっくり食ったって。その辺に転がるだけだから」
晴人の細い顎がさっき雑に移動させた布団を示す。そのしぐさを妙に艶っぽく感じてしまうのは自分が犯された場所だからだろうか。
あの壁際で、逃れる場所を奪われて良いように自分の性癖と躯を曝あばかれた。
またぞろ心臓は暴れだし、腹の奥底できゅうきゅうと疼く場所がある。
自分の躯は、作り替えられてしまったのだろうか。
あんな風に無理矢理に求められたら、普通拒絶するだろう。
恐怖して、嫌悪して軽蔑する。それが普通だろう。
だというのに、一史はそのどれも、感じていない。確かにあったはずの恐怖もあまりに日常過ぎる生活の中で薄れた。嫌悪と軽蔑は、はじめから生まれなかった。
浴室から湯を浴びる音。痩せた晴人の裸体はスポーツをやっていたからだろう、締まっていて、貧相には思えない。
「かっこいいんだよな……」
空になった椀を見つめて呟く。箸を咥えた行儀の悪い一史の顔が漆喰の中に映っていた。
一緒に仕事をしていたときから無頓着で、食事すら煙草とコーヒーで済ませるほどだった。
「アウトローって感じで」
昔とった杵柄だと笑う筋肉は細い中に浮かび上がり、しなやかな鋼のようだった。
好きだったんだと、思う。
それは恋愛や、性的なものではなく、同じ男としての憧れ。
咥え煙草でデスクに座り、ゲラ稿をチェックする。連日の徹夜に重い瞼を眇める。普段の気さくさが消えて、原稿に対する目は厳しい。曖昧さを好まず、過激ともとられる攻めの言葉を選ぶ。記事を裏付ける情報の量が、それを可能にしてることくらいわかっていた。
そういう姿勢に憧れた。自分がそうなりたかった。
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