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 そう思い込んで、体と心を落ち着けて過ごしていたのに。  ―――いない。  照明を点けて見ても、どこか精彩を欠くのは一史が居ないからだ。自分の感情に鈍い自分にすら、判る事実。伽藍堂の部屋が、予期せぬタイミングで現れてしまったようで、落ち着かない。  服を脱いで乱暴に洗濯機に押し込む。下着替わりのアンダーシャツが身体に張り付く。  3日分の洗濯物は一度も洗濯されていないくせに量が少ない。冷蔵庫の中では豚肉が冷やされたまま消費期限を超えようとしている。『独り』がどういうモノなのか思い知らされている。  思い知らされて、一史の痕跡を探している。  洗面台の歯ブラシは出張に持っていったらしい。スリッパなんてアイツは履かない。干しっぱなしの洗濯物から着替えを持っていったのかそこには晴人のものしかぶら下がっていない。広げたままの布団に転がっても、微か匂う一史が今にも消えてしまいそうで、慌てて布団から顔をあげた。  押し入れの引き戸を開ける。いつもなら持ち上がっている晴人の蔵書の段ボールが、沈んで見える。  その下には、いつも。  段ボールを持ち上げて、その空洞に息を飲んだ。  玩具の入った段ボールはどこかに持ち出されていた。  あの夜。晴人が一史をレイプした夜からその存在に触れないように気を付けていた箱が、 忽然と姿を消していた。  飲み込んだ息が塊になって喉に詰まっている。  上手く息ができなくてソレを直視できなくて段ボールを戻し、襖を閉じた。  ーーー逃げるな、なんて。  脅したところで、本当に逃げようと思えば逃げられるように束縛の手を緩めて。  ーーー離れるな、なんて。  離れたくなるようなことをしたのは自分なのに。  膝を折って俯いて、無様な自分を曝したところできっと、一史は帰ってこない。あんな酷い目に遭わせておいて、前と同じに戻れるなんて。  そんな浅はかが通るはずはないのだ。  頭がぐらぐらする。目頭が熱い。  照明の光が眩しすぎて、電気を消した。今の晴人には痛すぎる明るさだった。  一史がいない。  その不安が胸中に押し寄せて絶望に変わる。  いなくなってしまった。  のそのそと布団に戻り顔を押し付ける。微かに残った匂いが、鼻腔から広がって記憶を呼び起こす。  ーーー甘んじていたのが悪かったのか。  自分の気持ちも判らずに好きだなんて嘘はつけない。でも、なにも言わなければただ酷いことをした最低男の傍に、誰が好んで留まるものか。  ーーーあんなことをしておいて、離れるなという方が無理な話だ。  こうやって、独りになってようやく自分の感情に手が届きそうな気がする。  触れたい。  抱き締めたい。  髪を撫でたい。  こそばがって笑う顔が見たい。  全部引き剥がして、もう一度全部注ぎ込んでしまいたい。今度、があるのなら、今度こそ離してやらない。  俺だけのものにしたい。  この独占欲になんて名前をつけたらいいのだろう。  俺が笑わせてやりたい。  泣かせたい。  傍に居たい。居てほしい。  ずず、と鼻を啜る音がした。  吐き出した息がシーツを温もらせた。  それは微かな水滴となって布を湿らせる。  温もったままのシーツに顔を押し付け目を閉じる。  ーーーどんなに願ったところで、今度なんてないんだろう。  眼裏に自分が侵し、汚したときの一史の涙を思い出した。その涙さえ、飲み干して自分のものにしてしまいたいというのなら。  ーーーこれはすっかり歪んでしまった『愛』なんだろう。  いなくなって、失ってしまってから気がつく。  「はは……」  力ない笑いが、乾いた唇から漏れた。最悪の失恋だ。  自分を慕っていた後輩を。仕事を辞めてからもなにかと気にかけてくれていた男を。こんな風にして失う、なんて。  もう一度シーツに顔を押し付けて、息を吸い込んだ。今ならちゃんと解る、愛おしい匂いが肺のなかを満たした。

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