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大きな透明の天井が二人の頭上にある。
それは濃紺の空を透かしてキラキラと光る。そこを滑らかな曲線の生き物がするりと泳ぎ抜けていく。
「ペンギンって、水族館に展示されてるもんなんですか?」
「動物園にもいるけどな」
水生生物を展示するのが水族館で、動物を展示するのが動物園だ。ペンギンはそのどちらにも当てはまる。
直に空は完全な夜色になりそうで晴人は屋外展示の方へ一史を案内した。眼前にはビル郡がイルミネイションのように灯っていて、それを見ると少し、息苦しくなった。
「海の、なか」
ペンギンの水槽を見上げたまま一史は唇を動かす。その声に導かれて視線を向けると、上を向いた横顔が、水の光を反射していた。
「海の中って、こんな感じなんですかね」
一般来場者の閉園時間が迫った水族館はナイトチケットを持った客以外、屋外展示に残っていない。確かに声を潜めた静かな空間は、海面に近いながら、音の届かない海に似ていた。
不意に、一史の手が、シャツの裾を掴んだ。引っ張られた感覚に視線をそちらに奪われる。奪われて、もう一度一史を見た。
「次、行きましょ」
瞬間、泣いてしまいそうな表情を見た気がした。
「俺、カワウソ見たいです。カワウソ。新しい子入ってるらしいですよ」
何か言いかけた。何を言おうとしたのか、何を言えばいいのか、自分でもわからなかった。判らなくてただ、服の裾を握った手をそっと自分の手で包んだ。女性客が、こちらを見た気がした。ぐくと、喉をならして唾液を飲む。
「キャバクラみたいな言い方すんな」
掌を開いて、一史の頭を叩く。いて、と笑いながらその体が前にのめる。何気ない風で、肩に腕を回す。手を繋ぐより、こちらの方が自然に見える気がした。体の温かさと、一史の匂いが迫ってきた。
一史は、海洋生物の展示ブースを通るとき、少し足早に進んだ。そして、晴人のシャツの裾を握る。ささやかに絡んだ指が、幼い子どもみたいだった。
海の中で溺れないように迷わないようにしているようだった。
その歩調が緩やかになる。人工の熱帯雨林がショーケースの背面に映っている。メイン展示場から少し離れたこの場所は、二人以外に誰もいない。小さな箱のような建物の中で、ふたり。薄闇の熱帯雨林にたっていた。
何者にも脅かされない悠然さで古代魚が目の前を過っていく。ピラルクーの長い体が晴人と一史の間を繋ぐ。その脇を、ひとまわり、小さなアロワナが添うように泳ぐ。
「古代魚って、溺れるらしいですよ」
正面に映る一史は少し視線を落として、古代魚を見ている。そして、その目は古代魚を見てはいない。視線は向いているのに、何か全く別のものを透かし見ているようだった。
「溺れる魚か」
一史の目に気がつかない振りをして呟く。古代魚の中にはエラが発達して肺と同じ機能を持ち水面呼吸をする種がいる。しかし、酸素を空気中から取り込み、二酸化炭素の排出を水中で行うため、地上で生きることはできない。酸素を空気中から取り込めない場合、あるいは、あまりの出来事に驚いたりした場合、肺に水がはいり、溺死するのだ。
「泳げるのに、溺れるって、どんな感じなんですかね。」
言葉の真意を掴めずにただ、一史の隣に立っていた。何を考えて、何を感じているのかわからずに、溺れるような息苦しさで、胸が締め付けられる。触れるか、触れないかの辺りに一史の指がある。空気を温もらせるほど、近くにその指を感じる。
「晴人さん」
それが、晴人の人差し指に触れる。
「俺、誘ってもらえて、凄く嬉しいですよ。」
指が、絡む。一史を見返ったとき、横目に写ったウインドウの中の一史もこちらを向いた。目が、会う。じっと正面から見据えてくる目。
「俺、あなたがいることが、当たり前になっているんです。」
こちらの不安を見抜くような言葉。縋るような言葉。真意が見えなくて言葉を紡げない。
「帰りも、俺が運転しますから。」
絡んだ指の強さが胸を締め付ける。
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