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 動き出したばかりの街に人いきれと言うほどの人は居らず、一史に手を引かれて通り抜けたときほどの繁雑さはなかった。  駅の中を通って東口に出る。併設されたカフェはもうオープンしていたが一史に目をやると気の無いように西武池袋線の改札を眺めていた。それでもちらちらと視線を送る。気付いた一史は人好きのする、擦れたところのない笑顔を見せる。  一史の歩き方は少しぎこちない。歩調を緩めてそれに合わせる。  「なにか気になるものでもあったか」  東口にを抜けるときに問うと、指先がポスターを示した。セ・パ交流戦のポスターだった。  「晴人さん、好きでしたよね」  「交流戦?」  「だけじゃなくて」  野球全般を指しているのかと得心がいって頷く。大学まで自分がプレイしていたこともあって一番知識のある競技だからだろう。  「やっちゃいけないことができるだろ」  ポスターを横目にしながら埼玉に球場があることを思い出していた。  「やっちゃいけないこと。」  「盗む、刺す、殺す。」  「うわ、物騒。」  アウトにすることを『殺す』。盗塁は『盗む』ものだし、それを阻止することは『刺す』という。物騒で言葉にすることすら憚られることが正攻法で誉められる。子どもの頃はなぜかそういう『言ってはいけない言葉』に憧れた。人にむかって言うのは当然だがよくない。だが、野球においてはそれを堂々と叫んでもいいのだ。  「なんか、歪んでますね。」  「俺もそう思う。」  からからと笑いながら、でも危険人物ではないだろう、といいかけて自分の所業を思い出していた。充分に危険人物だった。  「でもまあ、それはただの切っ掛けなんだ。試合に出始めると、アウトになるかもしれない緊張感とか。バッターを前にしたときのヒリヒリした感じとか。」  緊張をまとった電気みたいな空気が肌を刺して指先までチリチリする。伝ってくる汗すら、払えない。  「マゾですか。」  「何でそうなるんだ。」  噴き出して笑う。駅前の本屋にはいかなくていいのか聞くと、一史はまだ開店前だと笑った。  

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