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どうせなら、抱っこ紐も押し付けていってくれればよかったのに。
思いの外悠長な自分に少し驚きながら自動ドアを潜る。ひんやりとした店内の、白い床に自分の影が歪に映っていた。
「すみません。」
真っ直ぐにレジに向かうと、まだ眠たげな男性店員が顔をあげた。
「これぐらいの子に必要なものがほしいんですけど」
男性店員は煩わしげに目を眇めた後、一史に抱えられた赤ん坊をみた。そして眇めたままの目で視線をそらし、今にも舌打ちしそうな顔をした後でこちらに背を向け、レジの後ろにある扉を開いた。
「タエさん」
小さな声が事務所にかけられる。男性店員は茶色く染めた髪を掻きながら話していた。すみません、とか、勤務前なのに、という言葉の後で
「いいのよー、顔のわりに気の小さい子ねー 」
と闊達に笑う声が聞こえていた。背後に人の並ぶ気配がした。
男性店員は振り返り、再び一史に向き直る。
「すみません、俺じゃ判らないんで他の者が対応します」
そう言うと一史にレジの脇で待つように言って次の客の接客をはじめる。仏頂面はそのままなので、何となく晴人を思い出した。
思い出すと今度は黒ジャージがちらついた。目立つ金髪と、今腕の中で寝ている赤ん坊を比較してみて口の辺りと眉の造作辺りがにているような気がした。兄弟なのか。肩に凭れた側の頬は潰れた饅頭のようになっていた。赤い唇が突き出されて薄く開いている。
「責任をとれ」と言った言葉が脳裏に蘇る。
晴人とこの赤ん坊は関係があるらしい。
責任をとらねばならないような、関係が。
「おまたせしました。」
独特のイントネーションで女性店員が笑う。いかにも柔らかそうな笑顔とさばさばした物言い。どっしりしと構えた姿。
「……お願いします」
「あら、可愛らしい子だねぇ。何ヵ月?」
「いや、あの、」
判らないとは言えずに口ごもった。首を傾ぐとおばちゃんは「最近のお父さんはそんなもんかしらねぇ」と豪胆に笑った。
これで不必要に否定すれば煩わしいことになるのは免れない。
「はあ、まあ、」
「ママがお出掛けの間過ごす分だけでいいのかしら」
ママは判らないし、いつ返せるかも判らない。できれば早急に返したいが名前も知らない。晴人との面識はあるようだから晴人が帰ればどうにかなるはずだがそれまでに何が必要なのか判らない。
答えに窮する間におばちゃんが腕にぶら下げた買い物かごにはどんどん商品が突っ込まれていく。哺乳瓶、粉ミルク、オムツ、おしり拭き、ガーゼ、……謎の機械。
「これは、」
「搾乳器ですよ。ママがお出掛けの時はおっぱいを搾っておけば温めて飲ませれるから」
「さくにゅうき、」
「搾乳器」
傘みたいに平たいパッドがチューブでスイッチに繋がっている。
―――搾乳。
パッケージの裏をみると乳房にパッドを当てて使うらしい。スイッチを入れると圧がかかって赤ん坊が吸っているのと同じようになる。
―――つまり、乳首が吸い上げられるわけだ。
強く吸い上げられる自分の乳首を想像して股の間から脳天に向かって痺れが走った。思わずきゅっと内腿を締める。それは要らない気もするが躊躇っているうちにおばちゃんはかごをレジに置いた。
「要らないもんがあったら除いてね。」
少なくとも搾乳器は必要ないと思いながらそれをどけられずに結局全部レジに通した。片手でできる作業は限られていて財布を出して進退窮まるとおばちゃんは一史に見えるように必要な分だけのお金を抜いて財布を尻のポケットに戻してくれた。仕上げとばかり尻を叩かれたがたいした痛みではなかった。
「パパと仲良くね」
帰り際赤ん坊の頬に触れた指が優しくて一史は少し笑った。ドラッグストアからでると日は大分高くなっている。
「う、わ」
いきなり尻の上で携帯が振動して腰が反った。尻の肉を細かく振るわされる振動は苦手なのにいつも同じ場所に入れてしまう。振動に耐えながら赤ん坊を抱え直し、片手で携帯を取り出す。
まだ尻の肉が振動している気がした。
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