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 その目が、一史に気づいて動きを止める。その癖、すぐに目は逸らされて足元でしゃがんでいた女子中学生に移される。一言二言なにか伝えて、晴人はその場を辞した。バッターボックスから出るときにきれいなお辞儀をした。話しかけられた中学生はひとつボールをとると、他の子に投げた。そこからすさまじい早さでボールが回っていく。塁から塁へキャッチボールの要領で時計回りにボールが回されていく。  俺の知らない世界。  その様を見ながら一史は息を飲む。自分が中学生の時は部活は強制ではなかったし、所属すれば余計な出費が嵩むから所属しなかった。  「悪かったな」  アンダーシャツに濃紺の、胸元に黄色いロゴの入ったTシャツを着た晴人が歩み寄りながら申し訳なさそうにする。バッティング用の手袋をはずしながら話す様が妙に色っぽく思えてその手に触れられた朝を思いだした。その大きな掌が今、再び汗っぽくなった一史の髪に触れる。  「汗まみれだ」  「赤ん坊って、体温高いんですよ」  抱いてみますか、と差し出すと晴人は体を強ばらせて手を引いた。  「壊れそうで怖い」  的はずれな感すら覚える物言いを頭の中で反芻してみて笑いが込み上げた。  「壊れそうって、だっこしたくらいじゃ壊れませんよ」  少しずり落ちた体を抱え直すと、ふにゃと寝息のような、なにか他の音のような声で赤ん坊が鳴いた。その微かな声を確かめるように晴人は、赤ん坊の頭に手を乗せる。  「まなと」  呟かれたのは、多分赤ん坊の名前だ。思い至って打ち消したはずの予感がじわり、広がる。赤ん坊との関係を聞いてしまう好機だ。好機の、はずなのに。  「何で、」  気が付かなかった振りをしてグラウンドに目を向けた。  「女子野球、見てるんですか」  問いに倣うようにして晴人は彼女らの方を見た。そして、そちらを向いたまま唇が動く。  「野球じゃないよ」  くつくつと喉を鳴らすに似た笑いは、どこか悪戯じみている。そして、うまく話がそれたことに、なぜか安堵している自分に気がつく。  「ソフトだよ」  耳にしたことのある競技名を聞きながら、赤ん坊の頭から離れた晴人の掌を安堵する。そして、その安堵に、再び気がつかされる。  そうか、俺は、知りたくないのだ。  だから、そっと晴人の過去と、現在(いま)に触れることを恐れている。

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