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ベーコンから油が出てきたら鷹の爪を一本いれる。酒を回しかけて、暫く煮たら、トマト缶をぶちこむ。あとはある程度煮詰まるまで火にかける。その間に大鍋に湯を張って火に掛けた。
「水じゃねーのかよ」
「水から火にかけたら時間かかるだろ」
まあ、そうか。
素直に矛を収めたマサキがじっと鍋の湯の湖面を見ていた。それはすぐに沸々と沸騰を始めそこにたっぷりの塩を入れる。そんな様をじっとマサキは見ている。
「男の癖に、料理すんの」
「男だろうが女だろうが食わなきゃ死ぬからな。」
ぐらぐらと煮え出した湯に乾麺を広げていれる。深い鍋ではないから麺の半分くらいの長さが鍋の外にはみ出ている。そのまま放置すると鍋肌に当たった麺がチリチリと焦げ始めるので菜箸で混ぜて沈めた。
「7分経ったら声かけろ。」
ポケットに煙草があるのを確認して、マサキに菜箸を渡す。勢いで受け取ったマサキは握り箸のままでじっとそれを見つめた。
「って、え?は?あんたどこ行くんだよ」
「一服」
「じゃあここでっ」
言い掛けた言葉をデコピンで止める。箸を握りしめたままの拳が額を押さえる。
「発育に悪いだろうが。」
「誰の」
「俺がこれ以上でかくなると思ってンのか?」
「髪、とか?」
まだ、抜けてない。仕事を辞めたとき確かに円形脱毛症にもなったが、今はちゃんと生え揃ってる。
「煙草が髪に影響あるなんて知らなかったな。」
「晴人さん、最近抜け毛増えてますからね。」
後方射撃は予想外で ぎょっとしたまま振り返る。聞いてやしないだろう赤ん坊に向けて同意を求めるように「ねー、」と笑いかける顔はやっぱり子どもじみていた。
まだ不機嫌か。
どうしたら斜めになった臍をこちらに向けられるか考える。考えても見当がつかない。それでも考える努力は惜しまない。
「マサキと、マナトのだよ。」
「は?」
マナトをあやすそのままの口調で一史は囁く。心底意外だと言うように晴人を見たマサキの目線から逃げるようにして晴人は玄関を出た。
真昼の空に10日の月が泳いでいる。
通路の柵に寄りかかって火を付ける。勢い自宅まで連れ込んでしまった生徒の処遇より多分機嫌を損ねてしまった同居人に対しての方が頭が痛い。
何に対して不貞腐れているのかなんて、判るようでわからなくて、もし間違っていたらどれだけ自分は一史を低く見て、自惚れて、自意識過剰になっていたのかと羞恥するに違いない。
「いや、今だって十分に恥ずかしいんだ。」
玉子に似た月を見ながら空に向かって煙を吐き出す。頬を伸びた横髪が撫でる。
部屋の中からは笑う声が聞こえてくる。マナトのまだ笑い声にならないような奇声みたいな歓喜の声も聞こえてくる。瞼を閉じる。
遅い昼食を食べさせて、話を少しをして、車で送る。
それで良いはずだが、それではいけないことはわかっている。今日は、やや汗ばむ気候だ。この部屋に空調はない。正気に戻ってもう2年。買うなり越すなりしなくてはならない。じっとりと、汗ばむ額に髪が張り付くのを感じた。
マサキは黒いジャージを脱がない。
袖を捲ることさえしない。
まだ真夏ではないから、年齢的な差があるから、基礎代謝に違いがあるから。こじつけの理由なら納得の如何によらず考えることはできる。だが、今年赴任した晴人はいざ知らず、他教員さえも1年からマサキがあのジャージを脱いだ姿を見たことがない。脱ぐだけじゃない。上に他の服を羽織ることも、ない。 指定ジャージを着てきたことすら、ない。
それはつまり、『そういう』ことだ。
状況証拠は全て、ある一点を指し示している。示しているのに、マサキは声をあげない。サインも出さない。確証がない限り、社会は動かない。動けない。
「周防!」
がちりと扉が開いた瞬間にたまっていた煙草の灰が落ちた。それが黒いアンダーシャツに白い汚れを付ける。
「出来た!」
子どもらしい破顔が皿に盛られた赤色のパスタを差し出す。パスタがゆで上がったら呼べと言ったのに、どうやら一史にその先を教わったらしい。
「良い匂いだ。」
フィルター付近までちびた煙草を携帯灰皿に押し付ける。得意満面のマサキは早くと晴人を促した。
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