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 狭い座卓に大皿に盛り付けたパスタが鎮座する。腹がくちくなって微睡み始めたマナトは窓の傍で転がっている。半眼の額をやわやわと風が撫でるのに任せて瞼が落ちる。  「周防、フォーク2本しかない」  「あ、俺箸でいい。」  「マサキは粉チーズいるか?」  「いる。でもタバスコもほしい。」  「タバスコは外せない。」  3人がまちまちに話していても、マナトはとろとろと睡眠と覚醒を繰り返している。  「おやすみ」  その額をゆっくり撫で、一史が呟く。箸とフォークとを握ったままのマサキがそのさまを見て、魅入る。一史はその視線に気がついてマサキを見る。マサキは頭ごと一史から視線を外した。  粉末のコンソメスープを椀とマグカップに開けながらそのさまを見ていた。何と無くむず痒い苛立ちが胸に澱となって潜む。  「一史、さんて」  掠れた声が変に緊張している。これは、良くない。横目にしながら思う。良くない。マサキは一史の正面に膝を突いて座る。目線を外したままで箸を渡す。一史はそれを受け取りながら次の言葉を待ってる。  「オカマなの?」  「ぶっ」  予想の斜め上にいった質問に吹き出したのは晴人だった。一史は目を見開いて、見開いた後で晴人を睨んだ。  いやいや。これは仕方ない。仕方ないだろう。俺は一史を狙う強敵に直面したのかと思ったのだ。手に入れたのか、まだ手に入れられずにいるのか微妙なラインの想い人に余計な懸想をする人間が現れたら気も張るに決まっている。しかも、自分より格段に自然な相手であればなおのことだ。その張詰めた気を一太刀に斬られたら噴き出すのもしかたない。  「何をもってそう言うかは知らないけど、辞書通り『女装男性やトランスジェンダーを含む一部の同性愛者』と見るなら俺はその『一部』には当てはまらないね。」  お箸、ありがとう。と、一史は返す。マサキはなんと答えて良いかわからず口ごもる。ふたりのやり取りに気を奪われて、コンロに掛けた鍋がぐらぐらと煮たっていた。  「同性愛者をそう捉えるなら、そうかもね。」  「え。」  「好きな人がいるから。」  真っ直ぐにマサキを見据えた一史は、少し頬を緩めて笑う。晴人は聞こえない振りをしながらスープに熱湯を注ぐ。  何故かふたりが、制服を着ている幻影を見た気がしていた。  「場所、開けろ」  両手に椀を持ったままで横柄に言うとマサキと一史の間に距離が空く。実際には、マサキが一史の方へ身を乗り出していただけだからマサキが引いたのだが。  空いた場所にスープを置く。  「あ、豪勢。」  「インスタントだぞ。」  「いつもならスパゲティーだけじゃないですか。」  それだけで上機嫌そうに一史は言う。言葉よりも皮肉はなくて、たぶん、ただ単純にいつもより一品多いのが嬉しいらしい。  「「いただきます。」」  「イタダキマス。」  普段通りの食前の言葉にマサキの不馴れな声が続く。  一史は左手で箸をとったあと、右手を滑らせて持ち直す。それを滑らかな所作で行う。背筋の伸びた食事の仕方は品性を感じさせる。育ちのよさを、感じさせる。  「あ、うめぇ……」  「でしょ。俺、晴人さんのメニューの中でこれが一番好き。」  マサキの言葉に屈託のない顔で笑って、我がことのように自慢げにする。すれない言葉や、表情は一史の背景を恵まれたもののように見せる。  一史の横でマナトはひっくり返った蛙みたいな体勢で眠っている。なんの警戒もない寝息が聞こえてくる。『施設では年長者が赤ん坊の面倒を見る。』乳児の扱いに手慣れた様は、相当な年期の入ったものだった。  ひとつ知る度に、アンバランスな印象を受ける。しかも、それが、惹き付けて止まない魅力に感じる。安易に触れることを躊躇わせるのに、深く、知りたくなる。 育ちの良さそうな動作、自分の知らない過去。  「一史さん、」  マサキは手に持ったフォークでスパゲティを混ぜる。一史は口に含んだものをしっかり咀嚼して飲み込んで、それから、口を開く。  「なに?」  その淡い笑みにマサキが息を飲んだ。その痛切な表情の意味を、俺には、推し量ってやることができない。  「マナトを養子にしてください。」  真剣な表情で切り出された安易ではない安直な願いに晴人は虚を突かれた思いがした。

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