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 まるで黒い獣のようだった。  晴人の強い腕がマサキを引き寄せる。そんな風に易々と引き寄せると、自己本位な嫉妬に胸が締め付けられる。  そんなことを考えている場合じゃないのに。だというのに縮み上がった心臓は浴室へと向かうふたりを追いかけさせる。勢いの良いシャワーの音が磨りガラスの向こうから聞こえてくる。浮かび上がるシルエットが黒いジャージの上下を纏ったままであることに安堵する。そんなことよりも、あの子どもの、怪我の方を心配するべきなのに。  「……やめろ、やめろ!嫌だ!」  悲鳴にも似た声が浴室から聞こえる。その声は震えて今にも泣き出しそうだ。磨りガラスの向こうのシルエットがジャージの裾をめくらせる。  「やめ、」  「一史」  悲痛な声を無視して晴人の声が響く。その切迫した響きに、晴人は『見た』のだと気付く。見て、『見つけた』のだと気付く。  「お前のハーフパンツとTシャツ持ってこい。」  「嫌だ!嫌だ!絶対に着替えない!!」  「……判った。下着は」  「俺の新品のがあっただろ。ボクサーなら然程違和感ないんじゃないか。」  それは、よくわからないけれど。少なくともウエストはあまりそうだなと思いながら、マサキの必死の抵抗を黙殺する。黙殺しながら、この子どものこれからを考える。蛇口を捻る音がして、磨りガラスが開いた。  「あ。」  扉から出てきた晴人の頬に引っ掻き傷がある。濡れた衣服を気にも留めずに晴人はすれ違う。前髪を掻き上げて、こちらにちらと視線を送り、そのまま居間に戻った。  「マサキ、」  ガラス戸に額を押し付ける。水音が聞こえる。噛み殺して唸るような、マサキの嗚咽も聞こえる。磨りガラスに映った影をみる限り、晴人が確認したのは足首の辺りだけだった。それだけだとはいえ、年頃の子どもにとっては、どれ程に、屈辱で、羞恥だったろう。傷付いた自分の体を他者に、それも異性(・・)に見られることはどんなに辛いことだろう。  「下着と、服は用意しておくから」  脳裏に、幾人かの『旧友(かぞく)』たちが現れて、消える。  温まっておいで。  体が温まれば少し、心が解れる。  「火傷になっていなければ湯船にお湯を張って体を洗っておいで」  小さく囁いて居間に戻った。

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