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橙に染まる空の色がマサキの瞳の中に映っているようだった。この子どももまた、守られるべき存在のはずなのに、その事実を教えられずにいる。
「温まったぞ。」
武骨な物言いが沈黙を断ち切る。盛られた大皿のスパゲティは湯気を放って、隣に腰を落ち着けた晴人からは、煙草のにおいがした。
晴人もまた、マサキを見はしない。胡座をかいた足に頬杖をついて一史側の壁を見ていた。
「食わねぇと生き残れないだろ。」
それは戦いに挑む者への餞にも似た言葉だった。
「……いただきます。」
マサキは静かに、だがはっきりと言葉を発してフォークを取った。握り締める不器用な持ち方も身を屈めるような食べ方も気にせずに口いっぱいにスパゲティを頬張った。顎を大きく動かして咀嚼して、ぐく、と飲み込む。胸の中にある不安や怒りや複雑に絡み付いた黒い塊を腹の奥に落とすようにして飲み込む。次を口に頬張る。
晴人は俄に立ち上がって、冷蔵庫からペットボトルの緑茶とグラスを座卓に置いた。口を捻って、3つのグラスに注いだのは一史だった。晴人は再び腰を落ち着けたのを機にぼんやりとマサキを見ていた。
「全部食っていいぞ。」
それは年頃の女の子に言って良い言葉かと一史は晴人を見やる。一史の目に映った晴人の目が、切な気に緩められて逸らされた。一史はマサキを見た。
「ゔぐ……」
長い睫毛の隙間からばらばらとそれは零れていた。きらきら、きらきら輝いて夕日を反射した。
「これからは多分太るぞ。マナトもマサキも。」
また、そういうことを。
それはまるで思春期の娘を持つ父親のようだ。無責任で考えなしな、普通の父親のようだ。
「で、お前はもう少し、マナトのことだけじゃなくて、自分のこともしなきゃならなくなるぞ。」
嗚咽混じりにスパゲティを咀嚼しながら、マサキは緑茶を求めてくる。コップを差し出すと無言で手に取り、何度か小さく頷いて、俯いたまま口を付けた。
「俺のチームじゃないけど、部活もできたら良いな。」
うぐと音をさせて マサキは緑茶を飲み込む。飲み込んで、言葉を探す。探して、俯いたままで、呟く。
「判ってるよ、クソジジィ」
吐き出すように呟かれた悪態は、言葉ほど冷たくない。晴人は悪態吐いたマサキの頭を乱暴にかき混ぜる。
だから、マサキはここに来たのだと、一史は得心がいく。
後はなんの言葉もなくマサキの食事が終わるのを見ていた。最後のひとくちまで平らげて、緑茶の1滴まで飲み干して、息を吐くと同時にごちそうさまと叫ぶと、マサキは大の字になって寝転んだ。傍若無人な様はまるですべての不安や問題を棚上げしたように見える。
それを横目に見ながら、晴人は煙草を出そうとして、思い直して席を立った。
「一史さん、」
「はい。」
食事が済んだら、彼女に『これから』を話すつもりだった。彼女もそれを忘れてはいなかった。
「一時預かりって、どれくらい?」
冷静な声が、彼女の年齢を曖昧にする。女性という性は不思議だ。ずっと年下の少女が、自分よりずっと大人びて感じることがある。
「長くて、2ヶ月だね、」
「2ヶ月経ったら?」
「縁者の中で保護してくれる人がいれば、そこに引き取られる。」
「いなかったら?」
居なかったら。
施設を思い出す。特別、冷たくもなければ、暖かくもなかった、施設。 何処かよそよそしくしか接することができなかった施設。それは多分、失うことが怖くて上手く接することができなかった自分に起因するものなのだろうけど。
「いなければ、保護施設で18歳まで過ごす。」
「そっか……あと3年と、少し、か」
「やっぱり、不安、だよね」
「……いや、」
マサキは細い体で腹筋に力を入れ、起き上がる。短い黒髪を乱暴に捌いて整え、前髪をぎゅっと上げる。
「『保護』ってことは、少なくとも、マナトは安全なんでしょ」
頭皮に引っ張られた眦が上がって、戦闘の準備みたいだ。
「なら、昨日よりまし。」
口の回りにトマトソースを付けたままで彼女は口角を上げる。意思の強さは奮い起こした彼女の勇気だと一史は知っている。そしてその源はマナトだ。
「今日より、じゃなくて?」
「今日?」
家族がいるっているのは、こういうことなのだろうかと、それを持たない一史は思う。自分にも、家族があったら、無条件で愛せたり、愛してくれたり、守りたかったり、守ってくれる存在があったら、今と何が違ったのだろうと、思う。
「三十路男に疵見られたけど、多分今日が人生で最高の日だよ」
強がりでない笑顔を見せてマサキは笑った。
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