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 1DKのアパートじゃ、キッチンなんて呼べるほど立派なものじゃない。大人が二人並べば必然的にそこは狭くなる。  「人参は銀杏でいいですか。」  「大根もそれでいい。でも、切る前に洗って、ラップでくるんでレンジで加熱してくれ」  火にかけた鍋を二つ並べ、ひとつに出汁のパックを放り込む。先にレンジで解凍した鶏肉に醤油と酒を少し揉み込む。  「あつ……」  「熱いから気を付けろ。」  「遅いです。」  「そりゃ、すまなかったな。」  喉を鳴らして笑うと、一史は唇を尖らせながらラップの端を器用に摘まんでまな板に野菜を置く。  掌で扇ぎながら野菜を冷やし、爪の先で押さえて人参を切っていく。危なかしい手付きだ。  鶏肉に少しの片栗粉をまとわせる。切り終わった根菜を出汁に入れて、鶏肉も放り込む。音をたててに立つ他方の鍋に蓋をして火を止める。一史はまな板と包丁をシンクで洗うついでに使用済みの皿に洗剤をかけて浅く湯を張った。  「……何で、」  蛇口を捻る音で、水音が途絶える。  「なんで、抱き締めたんですか。」  惑う目をこちらに向けて一史は問う。鍋の中で煮える食べ物から目を離してそちらを見た。  何故、と問われた。  何故、抱き締めたのか。  抱き締めたいと、思ったからだ。自分に向けられた言葉ではないから、できる限り聞かずにいようと思えども、完全に自分の中から遮断できるほど、一史の存在は軽くない。本当なら全部問い質して聞いてしまいたいほどだ。それが断片であれど心に入ってきた。渇望しながら諦めた目で過去を語る目にどうしようもなく揺さぶられた。  何を求めているのか判らないこの瞳に、何でも与えてやりたいと思ったからだ。  「俺が、したかったから?」  「馬鹿ですか。」  間髪を入れない暴言に確かにその通りだなと鍋に目を戻す。  「最近判ったことがあるんですけど、晴人さんて結構後先考えませんよね。」  「そうか?」  出汁がに立つ直前に火を調整して、もうひとつのコンロに火を入れる。すぐに煮立ったそちらに冷凍のうどんを2玉突っ込んだ。  「そうですよ。」  皿を洗いながら紡ぎ出される言葉はいつのまにかいつも通りの一史に戻っている。少し唇を尖らせたのが柔らかそうで横目で見ながらうどん汁を調味した。  出汁に薄口醤油と濃口醤油をほぼ同量垂らす。塩は少し、砂糖は1匙。すりおろした生姜を入れてお玉に掬う。  「マサキがああ言ったからよかったものの、もし公言されたらどうするんですか。教師が、公務員がゲイだなんて、いくら教育現場でLGBTの理解と配慮云々言っていても生徒からの目とか保護者からの」  「味見しろ」  小皿に少量入れて一史の口許に運ぶ。  世話しなく動いていた唇が窄められる。吐き出す息が指にかかる。それがざわざわと領辺りを擽った。  白い皿の縁に唇が触れる。おずおずとした睫毛が震える。そっと小皿を傾けると、透き通った琥珀色が一史の唇に注がれた。  「……うめ」  「じゃあこの味でとろみつけるからな。」  話の腰をへし折られた一史はほっとひとつ息を吐いてなんの話をしていたのか思い出そうとしていた。  「他人の目はあまり気にしていなかったな。」  茹で上がって解れたうどんを菜箸で掬い上げ、そのままうどん汁に入れる。本当は一度ざるに上げた方がいいのだが、シンクが塞がっているし、男二人の夜食なのだから気取る必要もない。  「気にする暇もなかったと言うか、衝動と言うか、本能と言うか。」  「本能って、」  呆れたように言われたが、マサキが公言しないと言ったからという訳ではなく、自分の行動に後悔はなかった。  抱き締めたかった。  狭い部屋なのに、ぽつんと一人、広い場所で行く宛も、帰る場所もなく佇んでいるように見えた体を自分のそばに引き寄せたかった。ただそれだけのエゴだった。  「そういうのを、後先考えないって言うんです。」  「そうか、」  「そうです。」  洗い物を終えた一史は二人分の丼を出す。  「じゃあ、もうひとつ、後先を考えない行動をしていいか。」  「どうぞ。」  今さら多少のことじゃ度肝を抜かれませんよと一史は洗い終わった箸と、引き出しにしまわれていた晴人の箸を出す。心臓が激しく脈打つのを息を殺して耐えていた。  「お前が言う、『同性の好きな人』は、俺で間違いないんだろうか。」  右手にうどんの入った鍋を、左手に菜箸を持ったままの間抜けな姿で自分は何を言っているのだろうと客観的な自分が呟くのが頭の中で聞こえた気がした。

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