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抱かれ、たい。
掌から伝わる熱が、頭皮を温める。背に回された右腕から、触れた胸から自分のものじゃない体温が、体を温める。それは温かい。温かいから、不安だ。
「飯、食いましょ」
促された言葉を繰り返しながら、体を離せずにいるのはどちらか。頭を包む掌が離れると急に冷たい心地になり、胸を押し返して体が放されるとその腕に帰りたくなった。
晴人はこちらに背を向ける。それは調理台に置きっぱなしの丼を取りに行くためだ。なのに、その背中が、自分に背を向けた何人もの姿と重なって見ていられなくて自ら背を向ける。
始めは父親なんだろう。施設の職員、友人、何人かの里親、面倒を見てきた施設の後輩たち。付き合った女の子の数は少ない。付き合うと別れるのがキツくなるから避けてきた。適当な遊び相手。このあたりになると、背中すら見ずに関係だけ持ってきた気がする。
「一史、」
ちょうど今、晴人にしているように。向こうはこちらを向いていたかもしれない。でも、向かい合ってしまったら背を向けられたときに、置き去られたときに、その後ろ姿が小さくなるまで、すがりながら、振り返るのを期待しながら、見つめてしまう。そして、それが叶わない度に期待した自分の惨めさと憐れさを味わわなくてはいけない。
だから、向かい合うことは、怖い。はじめから向かい合っていなければ、期待せずにいられる。ただ、背中を見るだけなら、振り返ることを期待しなければ自分の妄想だけに留めておけば怖がらずにいられる。
「食おう」
目を背けたままの席に、丼が置かれる。湯気が、頬を湿らせる。出汁の匂いに鶏と根菜の匂いが混じっている。向かいに座った晴人は無理に視線を求めたりしない。ただ、箸を持つ気配がする。
向かい合ってしまった。
物理的にではなく、精神的に。同じ意味を持つ感情を向けあってしまった。向けあった自覚を、持ってしまった。
息が溢れた。それは溜め息に似ていた。
「いただきます」
腹を据えて前を向く。おう、とだけ呟いた声が腹の底に温く染み込んだ。
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