20 / 206
九
「あ、みど!? すいません。私」
顔を真っ赤にして立っていたのは、保育園の先生だった。
いつもピンクのシュシュに、可愛いエプロンした絵に描いた保育士のような。
「その、――椿君が心配になりまして」
そのニュアンスは、今まで一夜だけ楽しんできた男女の関係ではない雰囲気ですぐに分かった。分かったけど、不安な今、誰でも良かったんだ。
「良かったら上がってくれる? 椿は突発性の発熱だけど、実はさ、母子手帳がよく分からなくて色々聞きたいし」
ドアを大きく開けて、中を促すと先生は顔を真っ赤にして首をブンブン振る。
「や、いえ。規則は玄関までなので、その」
「じゃあ、――保育園には内緒にするから」
含んだ声でそう言うと、保育士の先生はこくこく頷いた。
ちょっとだけ、想像した。――こんな人が椿の母親だったら。
月が雲に隠れたから、俺の心にも光が来なくて魔が差した。
緑が見ているのも気づかなくて。打算もあったし、恋愛とやらも少し興味があった。
真っ直ぐに向けられた好意を利用したのか癒されたかったのか分からなかったけど、――穏やかな時間だった。
「最近、緑くんは御迎えに来ませんね」
千秋と名前を知ったのは、あの日家に招き入れた日だった。
たくさんいる保育士の一人ぐらいの認識しかなかったけど。
「ああ、あいつ大学のテスト週間らしくて」
「緑君ってどこの大学なんですか? ここら辺の大学にしては頭良さそうですよね」
どこの大学……?
どこだったっけ。
ってか、いつのまに高校生だったのが大学生になってたんだっけ?
それすら曖昧でいい加減だ。
「電話してみようかな」
「じゃあ、私、帰りますね」
「ん。またな、千秋」
玄関まで椿と見送ると、はにかんで車を運転して帰っていく。
それを見送っていたら、窓からある車を見かけた。
「緑!」
すぐに飛び出して、その車へと走りよる。
車の助手席には珍しく酒やつまみがスーパーの袋一杯に入っていた。
そして、俯いてこっちを見ない緑の姿も。
「テスト終わったのか? お疲れ」
「先週終わってました。会いに――会いに来たんですが、お楽しみだったから」
チャリっと音が鳴るのは、俺が渡した合鍵だった。しまった。こんな健全そうな緑に見られてしまっていたのか。
「悪かったな。もう帰ったから上がるだろ?」
椿の手を取り、手招きさせてみるとやっと顔をあげて俺を見た。
月明かりの下、俺を見る緑の顔は今にも泣き崩れてしまいそうに弱々しく、真っ直ぐに俺の目を見ていた。
「緑――?」
「俺は、貴方が好きだと言ったのに、貴方は平然と友達を続けるんですか? 俺は耐えられない。演じられない」
ガンっとハンドルを叩くと、短くクラクションが鳴った。
「でも! 俺は貴方に嘘をついてるから、怒る権利なんてないっ 俺なんて」
「緑? ちょっと落ちつけよ」
手を伸ばすと、怯えたように振り払われた。
ともだちにシェアしよう!