34 / 206
八
「俺、煙草なんて吸いません」
「でも、仕事帰りの貴方、煙草臭い時が多々あったわ」
「それは、仕事場の親父さんがヘビースモーカーだからだろ。俺が吸わないのは、千秋とか緑が証明するし、もう行っていいか?」
長話に付き合える余裕も時間もない。
すっかり月も星も淡く光り出した夜空、こんな真っ暗な夜の下、俺と椿は離ればなれなのだから。
――親父さんと同じ煙草の臭いか。
けっこう独特で、段ボールで海外から輸入する珍しい煙草だって言ってた。
煙草。
たば、こ――。
まじか。
「――心当たり、心当たりが、あるかもしれ、ない」
絞り出した声は、情けないことに真っ白になった頭の中同様、震えていた。
「あれ? あれ?」
「どうしました?」
バイクに跨ったまま、なかなかバイクが発進しない。
何度やっても、何度やっても、――何処をどう触って発進させていたのか思い出せない。
なんだ、これ?
焦って手を動かしている時、やっと理由が分かった。
身体が震えていたんだ。
落ち着いている、冷静に努めているつもりだったが、不安で今にも押しつぶされそうだったんだ。
「太陽さんっ」
車から降り立った緑が、走ってくる。
こいつには、――お見通しなんだろうな。
走ってきた緑が、俺のバイクのエンジンを切る。
抱き締められて、撫でられた髪に触れる、緑の感触。
心地いい。
暖かい。
これほどまでに安心させてくれる存在なんで、――緑しかいない。
こいつしか、――いないんだ。
緑、緑、緑、――みどり。
自覚したのに、今は、伝える暇などなかった。
「遼子さん」
「はい?」
「椿、遼子さんが連れ去ったかも」
そう言うと、震える俺を抱き締めて緑は車へ俺を押し込んだ。
こんな忙しい日に限って、――親父さんに何重にも迷惑をかけている。
違ってほしい。でも、もし違ったら椿の居場所は俺だけではもう分からない。
だからどうか、どうか――。
乗り込んだ仕事場には、煙草を吸って一息つく親父さんの姿があった。
「お? どうした、太陽。こっちはもう大丈夫だぞ」
「黒のワンボックスカー……」
「あ?」
「遼子さん、黒のワンボックスカー運転」
見開いて、単語しか言わない俺に、親父さんは只ならぬ何かを察したのか煙草の火を消す。
「椿君を返して下さい。――遼子さんはこの奥ですか?」
その言葉に、親父さんは灰皿ごと床に煙草を落とした。
「遼子!」
走り出す親父さんの後ろを、俺と緑は着いて行く。不安は、当たっていたのかもしれない。
店と修理場の、店に繋がっている家の前。
黒のワンボックスカーと、椿の泣き声が聴こえて来た。
「何をしてんだ! てめ、遼子!」
親父さんが土足のまま家に入ると、遼子さんのすすり泣く声がした。
「こんなガキが育てられて、私が育てられないわけないだろ!」
「怒鳴るな! 赤子が怯える!!」
ともだちにシェアしよう!