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九
二人の修羅場の中、遼子さんの両手には、しっかりと椿が抱き締められていた。
ほっとして、膝を折った俺は涙がこみ上げてくる。
それと同時に激しい怒りが、拳を強く握らせた。
親父さんが居なかったら、親父さんの奥さんじゃなかったら、――ぶっ殺していたかもしれない。
震える俺は、立ち上がると泣きじゃくる遼子さんに近づいて行く。
「椿、返してください」
「いや。いやよ」
しっかり抱き締めて、俺に背中を向けた遼子さんは椿を離そうとはしなかった。
「母親が居ないなんて、こんな可愛い子が可哀想よ! 私に頂戴。産みたかったのに産めなかった私に! 私に頂戴!」
わああああと泣き出す遼子さんに、俺はつい、壁を強く殴りつけてしまった。
ぽろぽろと崩れる壁が、赤く染まっている。
「頂戴とか、椿をモノ扱いすんじゃねぇ! 俺の大切な家族だ! やらねーよ! やれるか!」
穴が空いた壁を見ながらも、気持ちは全く収まらない。
女だから手加減をしなきゃいけないのは、女がか弱くて守ってあげなきゃだからだ。
馨も遼子さんも、俺が手加減しなきゃいけない奴じゃない気がしてきた。
「椿は俺の大切な家族だ!」
「でも望んでできた訳じゃないっ 私は望んでもできなかったっ」
「止めないか! 遼子っ」
「嫌よ。私にちょうだいっ」
親父さんが髪の毛を引っ張ったり、羽交い締めしたりしても効果が無かった。
「太陽! 俺が抑えるから椿くんを奪い取れっ」
「俺も手伝います!」
緑と親父さん二人掛かりで押さえつけると、遼子さんと椿の泣き声がいっそう激しくなった。
「椿!」
俺がそう叫ぶと、椿は一瞬泣き止んだが、すぐに大声で泣き出した。
「ぱぱぁぁぁ!」
目を見開いて、その瞬間俺は遼子さんにタックルし椿をひったくっていた。
それは、初めて椿が俺をパパと呼んだ瞬間だった。
少なくても俺にはそう聞こえた。
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