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十言、仕事

Side:太陽 仕事に没頭することで、嫌なことを全て忘れた。 忘れたつもりでいた。 あいつとの関係が終わって五年が経とうとしていた。 「おい、椿、いつまで泣いてるんだ!」 髪をわしゃわしゃ撫でると、体操座りでちょこんと泣いていた椿が俺を見上げる。 「だって、ちあきせんせい、おれとけっこんするってやくそくしたのに」 六歳になった椿は、そんな事で泣くまで成長していた。 だが、千秋は俺の昔の女だとは口が裂けても言えない。俺も良い親に成長した。 「千秋先生が結婚して仕事辞めるのはさびしいけどさ、今までいっぱい世話になったんだから、綺麗にお別れしてやるのも、良い男だぜ? お前が最後まで泣いてたら千秋だって笑顔になれねーじゃん」 「なんで?」 「千秋先生は、椿も好きだから」 「すきなやつをなかせるのはかっこわるいってぱぱもいってたもんね」 「言った。好きな奴を泣かせるような男は男じゃねーよ」 その言葉に椿は涙を拭き、テーブルへ向かう。 やっと、千秋先生への似顔絵のプレゼントへ手を伸ばしてくれた。 千秋は初めて持った椿たちのクラスをずっと持ちあがってくれたんだけど、来年の卒業式前に結婚と同時に海外へ旦那の転勤についていくことになったらしい。 おっとりした可愛い、保育士は天職のような千秋だ。嘆く保護者も子供も多い。 椿もこのとおりメソメソだ。それでなくても、大きくて丸い瞳、色白の肌。泣き虫で大人しい性格。こんなよわっちい性格じゃ、いじめられてもやり返せない。 やっぱ椿には、子供ボクシングや空手を習わそう。 「そういえば、ははのひのえ、まいとし、ちあきせんせいかいてるよね」 「ああ。俺でもいいのに、お前千秋先生ばっかだ」 「でもいっさいのおれがかいたちあきせんせいは、だんごみたいだったよ」 団子――……。 その言葉に、あの日の記憶が蘇る。 椿が描いたのは、あいつの眼鏡。 でも椿は、5年も前の赤ん坊時代の事を覚えてるわけない。

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