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三
「あの小さかった椿が、恋をしてるらしい」
俺から話しかけられたからか、椿が恋をしているからか、寒田は目を見開いた。
「オムツ代えたり、ミルクやったり、誘拐されたりしたあの椿が、花を食べたい衝動にかられるような燃え上がる恋を……しているらしい」
それはちょっと寂しくて、何だか嬉しくて、
心配だけど俺からは手を離れて、椿自身が悩み傷つき幸せになるための感情。
「俺は……願うよ。椿の気持ちがうまくいくように。相手と気持ちが通じるなら、男でも女でも俺は構わない」
ただ、願う。そして、祈る。
「別れは胸を抉るから、嘘だけはつかないでやってほしいな。泣いてもいい、傷ついてもいい、ただ逃げてしまうような恋にならなきゃいい」
「太陽……。俺が貴方を傷つけるだけの存在でも、それでも好きな気持ちは止まらないんです」
「椿の恋は応援してやりたいが、俺はもう甘い恋なんてしたくない」
「太陽」
「太陽『さん』だ。馴れ馴れしく呼ぶな」
溜め息しか出ない。
もう俺は36で、結婚願望なんて椿が世話を焼いてくれるようになってからとっくに無くなっている。
感情と身体はバラバラに離して考えられる、腐った大人になっちまった。
身体さえ気持ちいいなら心はいらない。
心は二度と要らない。
でも、身体だけなら。
「お前が俺に執着するのも、身体だけ手に入れたら少しは薄れるんじゃないか?」
「そんな事、ありません」
「俺は別に、後腐れなければ誰でもいい。寧ろ、そんな関係しか今は望んでない」
「……俺のせいですか?」
真っ赤な鼻と白い息。眼鏡が寒さで曇るのが面白い。
その眼鏡の奥は、涙を堪えた瞳が隠れているんだ。
「人と関わるのは面倒だ。お前の言葉や言動で喜んだり傷ついたり、泣いたり怒ったり。そんな感情、もう俺は疲れるだけで……どうしても俺のそばに居たいなら」
近づいて、寒田の胸ぐらを掴む。
そのまま、少し背伸びして乱暴に唇を押し付けた。
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