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三
事件の前触れは突然にやってきた。
ジムでボクシングのトレーニングをした椿が少しボコられて帰ってきた。
椿は俺に似て結構強く、体つきなどが大きくなってからは負け知らずだったのにだ。
それから死にそうな顔をして朝起きてきたかと思ったら、天にも上るような幸せそうな顔で帰ってきていた。
それはどうやら……雷也とか言うやつが関係あるらしい。
「親父、KENNって奴、知ってる?」
「全く」
けん?
知らない。
「雷也より有名なミュージシャンなんだけど」
「知らん」
全く知らん。
なんで唐突にそんな話をするかな。
でも前にも同じことを聞いてきた気がする。
「ちょっとジムで対戦して俺が負けそうになったら雷也さんがボコボコにしちゃったんだ」
「ああ? 男同士の喧嘩に水を差しやがったのか?」
あのガキ、男としてなってねーな。
「いや、それは俺がKENNに先に突っかかったのが悪かったんだ。でもそれで俺が雷也さんの専属作詞家だとばれちゃって」
俺も今初めて聞いた。
お前、寒田の事務所を手伝うとしか言ってなかったぞ。
「世間にバレたくないならと脅迫されちゃって……もしかしたら店に来るかもしれないから迷惑かけるかも」
「ヤクザみたいな奴だなぁ」
仕事は魂を削られるぐらい集中するから楽しいが体力的にはストレスが溜まるわけで。
クリスマスは稼ぎ時だから休みなく働くつもりだが、
仕事に集中したい時にそんな奴が現れたら……まあ、温厚な俺も仕方ないよな。
「向こうから手を出してきたら正当防衛だからな」
「親父、目が輝いてるよ……」
「任せろ。KENNだな。KENN」
椿を負かせるなんてどんな野郎か興味がある。
「あと……寒田さんが」
腕を振り回していたが椿が嫌な名前を呼ぶ。
「寒田さんも仕事で当分忙しいから来られないって言ってたよ」
「さて。花束作るか」
また逃げるのか。
そうやって一生逃げてろ、ばーか。
花の茎を切る。パチンパチン。
間違えて花も切るかもしれない。パチンパチン。
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