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距離感 Side:朝登

『あ……末次さん』 『高崎さん、今から印刷したら数時間でできます。何人か残ってくれるって人がいたから大丈夫ですよ』   こちらを安心させようと、ふわりと笑ってくれていた。 さっきまでクスクスと嘲笑う耳障りな声を聞いていたから、信じられないほど安堵してしまった。 『ここ、社長がもうおじいちゃんで。最近、データ入稿とか発注とかできるようになったけど、社長がついていけなくてね。跡取りさんも居ないから、俺たち作業員も覚えることがいっぱいでね』 色々と仕事の悩みを打ち明けてくれたので、俺もつい女性漫画の編集は大変だと愚痴をこぼしてしまった。 『あはは、でも分かります。高崎さんって硬派で物静かで格好いいですからね。ベットシーンの打ち合わせとか恥ずかしくてできないですよ』 『か、かっこ?』 『あ、印刷完了したみたいです。持って帰りますよね? 急いで段ボールに入れて納品しますね』 ――かっこいい。 仕事のためのお世辞だとしても、涼さんに言われるのは本当に嬉しかった。 この件のお礼を言いたかったのに、突然両親が事故で無くなってしまい慌ただしく月日が過ぎて……遅くなってしまった。 「あ。お風呂言ってなかった」 明日のランチ用のローストビーフと、人参と柑橘のスープの仕込みを終えて、ハッとして時計を見上げた。 ギリギリ日にちが変わっていない時間だった。すぐにエプロンを取って二階に上がって、バスタオルを持って涼さんの部屋をノックした。 「涼さん」 「んー……」 「入りますよ」 「んん」 力のない声に首を傾げつつ、部屋に入ると、テーブルに突っ伏して眠っていた。 「こんなところで眠ったら、風邪を引くのに」 三階の寝室は、クローゼットに慌てて色んな荷物を入れたのであまり入ってほしくなかったが、ここで寝かすわけにはいかない。 抱きかかえて起きたら、お風呂に入ってもらえばいい。 そう思って抱えると、子猫のように丸くなって俺の胸にしがみついてきた。 ……可愛い。 抱きかかえてふと目に入ったのは、テーブルの上の参考書や教科書やノート。 参考書を見ると『高校卒業認定試験過去問集』と書かれていた。 勉強に仕事に、――今日みたいな災難。 家にも頼れないと言っていた。 俺はこの人の助けになれるだろうか。 もっと頼れる相手になれるだろうか。

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