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第9話

【朝陽No.5】 玄関を出てお互いに黙って頭を下げた。 さよならと上げた手が中途半端な高さで止まり、今の二人の微妙な距離感を感じてしまう。 一瞬心が寄り添えたと感じたのはこちらだけだったのだろうか。 門をくぐり寺を後にしたけれど、直ぐに会社に戻る気にはなれず、寺の近所をゆっくりと歩き出した。人に会う事など滅多にいない田舎道なのに、遠くに人影が見えた。 明るい茶色の髪、あの背格好は雲英だ。 どうしてここに来ているのだろう?と訝っていると、向こうから近寄ってきた。 「朝陽、会えてよかった。道に迷いかけてたんだ」 恵果さんと似た匂いになる様に送った香水をつけていた。その匂いすら鼻につき、もう彼への気持ちはひとかけらも残っていないのだと自覚した。 恵果さんがいい、どんなに似た人が俺を受け入れてくれたとしても恵果さんの代わりにはならない。 「何しにここへ?」 その問いに答えずに雲英はこちらに手を伸ばして俺の頬を包むと、舌を出してうっとりとキスをしてきた。 これで終わりにしよう、駅まで送り届け、二度と会わないと伝えよう。僅かな同情心からそう思ったことを俺は後で後悔する事になる。 唇を離した雲英は指で髪を梳りながら更にキスを強請る。 どの位好きにさせておいただろうか、もう十分だ。これ以上彼の気持ちを受け止めるつもりはない。肩を持って身体を離すと、艶然とした微笑みを浮かべて濡れた口元を拭った。 駅まで送る道すがら「もう会うつもりはない、来ないでくれ」とはっきり伝えたのに、意外にも雲英は平然と「朝陽、寂しくなったらオレの所に来なよ」と言い放った。 駅まで送り届けた後に車を取りに寺に向かって歩いて行くと道端に見覚えのある図面が落ちていた。 落とした?いや…そう言えばカバンに入れた覚えがない。 誰かが気づいて持ってきた?…恵果さんが? その瞬間あんなに熱心にキスを強請っていた雲英の目的が分かり、血が沸いた。 図面を掴んで寺へと走った。勝手口から入って恵果さんの部屋まで行き、名前を呼んで襖を開けた。 部屋には恵果さんしかいなかった。しかし脱ぎ散らかされた着物の上でしどけなく横たわっている様子は、明らかに誰かがそこにいた事を物語っていた。 「…あなたという人は、どうして!」 この怒りが誰に対するものなのか考える間もなく、思わず声を荒げていた。

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