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第35話

【恵果No17】 抱き締められた身体がゆっくりと離され、手を取られて私はただ真っ直ぐに朝陽さんを見た。 激情に流されて言ってしまった言葉はもう後には引くことの出来ないもので、それを伝えたくて...伝えられなかった。 朝陽さんが緩く笑って私の髪を梳くから、その触れられた場所まで熱を持つ。 目の前に袋を差し出され首を傾げた。 「それは?」 不思議そうに問えば、目の前の端正な顔が少し緩んだようにも見えた。 「忘れてました、おいしい葛きりを理由にお邪魔しようと思ってたのです。お好きでしょ、葛きり」 昔の私をまだ覚えてくれていたのだと思うと色んな感情が私の中で交差していく。 「良く覚えてましたね?ありがとうございます。 では、部屋に行きましょうか」 そう伝えたら朝陽さんが私の後ろを歩く。 部屋に入り、袋から葛切りを取り出してお盆に乗せると、視線を感じて、彼を見た。 「見ていては駄目ですか?」 私の視線に言葉で返して来るから、思わず目を逸らした。 「お好きに...」 そう伝えて、お盆の上に葛切りと茶を整えた。 お盆に綺麗に並べそれをひと回しして、対面へと畳の上を滑らせる。 「どうぞ、おもたせですが…」 少し気恥ずかしいと思いながら、差し出せば受け取った朝陽さんが器を眺め息を吐く。 私もと、器を持ち上げ口にすると甘くトロリとした蜜が舌の上を滑り喉へと流れ落ちる。 ほぅ...と、息が零れる程に葛切りは好きなのだ。 満足して顔を上げれば、私を見つめる目と視線が絡んだ。 「恵果さん、一つ報告があります。雲英の事です」 あぁ、あの人の事か、あれだけ辛そうに私に懇願して来たあの声がまた耳鳴りの様に響いて来る様だった。 朝陽さんが、それに付いて説明をしてくれた。 雲英さんからはもう私に連絡は来ない、そして警察が介入するまでの酷い暴力を受けていたのだと。 胸がざわついてしまうのは仕方ないと、その場を立ち上がって朝陽さんの後に背中合わせで座った。 驚くように身じろいたけど、温もりが欲しかったのだ。 「少しだけ、我慢して下さい」 そう伝えて背中の温もりを目を閉じて自分の中に覚えさせる。 こんなにも求めていた人なのだ。 髪が、節だった指に絡め取られ体の中の血液が巡る速度を早める。 「昔の恋人、とおっしゃってたあの方の事を、まだ忘れられないのですか?」 そう聞かれて私は唇を噛むと、首を左右に振った。 「忘れられないのは私ではありません」 あの人には妻がいて、子を成した時には既に気持ちは冷え切っていた。 そんな事を考えてたら朝陽さんが口を開く。 「俺は、他の人があなたに触れるのは嫌なんです。これからは…俺だけを見ていてくれませんか?」 もう、朝陽さんしか見えないですよきっと。 そう、口には出さずに思った。

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