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第5話
結局なんの答えも出せないまま、皐月の進路も知らないまま、ぐっと距離が縮められた。
「どう?これで満足?」
奏衣を窓際に閉じ込めるようにステンレスの窓枠に、はしたない足が乗せられる。ひらりとプリーツが揺れ、自分の体のすぐ横で健康的な太腿が露わになった。
「見て。昨日剃ったの。キレーでしょ?つるつる。触っていいよ」
「いい性格してるよ。ほんと馬鹿だろ」
「…いいんだ、馬鹿でも。奏衣先輩が俺のことちょっとでも見てくれるなら」
そのまま寄せられた柔らかい唇を素直に受け止めた。
逞しい肩の向こうに見えるちっとも掃除なんてされていない視聴覚資料室。時代遅れのVHSのテープなんかが未だ色あせたラベルを見せて棚に並んでいる。春の日差しに反射して光る埃が、そこら中に散乱していた。埃なんて全然綺麗じゃないのに、綺麗に見えた。
ここで何度もキスされた。強引に始めるくせに皮膚の表面をそっとくっつけるだけで、いつも無理なラインを伺うような口づけだった。
今日も同じ、ぎこちない接点を結ぶようなキス。優しい手が耳をくすぐる。馬鹿みたいに震えてる。自分も同じように震えているんじゃないかと怖くなった。
名残惜しげに離れていった大きな瞳に映るのは、奏衣と窓の向こうの青空。
「奏衣先輩、覚えてくれないから、ちっとも。理由なんてなんでもいいから俺のこと覚えて欲しいって思うだろ」
「覚えてるよ。おまえのことなんて忘れらんないよ」
ここまで勝手に心の裡に入って来た男のことをきっと忘れられない。たとえ今日を最後に、離れたとしても。
「どうでもいいことは覚えないだろ。俺が一年とき、先輩ね、俺に言ったんだ」
急に始まった話がなんのことだか、さっぱりわからない。
「俺、学年で一番ちっちゃくて、親が背なんてすぐ伸びるってぶかぶかの制服買ったもんだから余計みっともなくて『中学生だろ』って、からかわれてた。偶然通りかかったあんたは『そんなことでからかうの、どっちが中学生だよ』って言ってさ。怖いくらい涼しげな綺麗な目で。それから俺に『つまんないことに振り回されんな』って言ったんだよ」
「覚えてないわ」
「そうだろうね。『この前はありがとうございました』って、擦れ違ったとき礼言ったら『なんのこと?』って言われた」
「全く覚えてない」
くすっと皐月が息をこぼした。
「そ、ほんと全部どうでもいいってくらい、さらっと言った奏衣先輩は格好よかった。何度もそのときのこと脳内再生させたよ。仕草も、視線も、声も」
ーー そんなこと知るか。
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