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第79話

柔らかい陽光に、木々の梢を揺らす暖かい風。つぼみをつけた草花が春の訪れを告げる3月。 かなちゃんは高校の卒業式を終え、同月の下旬には俺達の暮らしていた家を出て行った。 俺は父さん母さんと一緒に駅のホームまで見送りに行った。 母さんは色々と大人の手が必要だろうからと、かなちゃんが引っ越すアパートまで同行し、2~3日泊まるそうだ。 く……羨ましい……。 本当は駅のホームで見送りするなら、人目も憚らずに濃厚なキスをして、これでもかってくらいにぎゅっと抱き締めて、かなちゃんを思う存分堪能してからお別れしたかった。 しかし、父さん母さんの前でそんなことはできる筈もなく、せいぜい頑張ったところでかなちゃんの両手をぎゅっと握ることしかできなかった。 「かなちゃん、元気で」 「うん。啓太も。啓太と過ごした時間、すごくすっごく楽しかった」 かなちゃんが笑う。しかしその笑顔は切なげに一瞬歪んだ。 眉をハの字に下げ、至近距離でかなちゃんを見詰める俺にしかわからないくらい微かに唇を震わせて、俺が握ったかなちゃんの手は冷たくなっていた。 堪らず握ったその手をぐっと引き寄せ、かなちゃんを抱き締める。 「っ、啓太……?」 「待ってて。俺必ずかなちゃんに追いつくから」 かなちゃんの耳元で、自分自身にも言い聞かせるようにして囁いた。 これくらいのことを乗り越えられないようでは決してかなちゃんの横に並べる男にはなれないだろう。 かなちゃんと一緒にこれから先の未来を歩みたい。 「……うん」 ほんの一瞬の抱擁だったが、腕の中のかなちゃんはもう兄の顔に戻っていた。 「待ってるよ、啓太」 そう囁き返され、どきっと心臓が跳ねた。 可愛い兄にも大人っぽい兄にも、俺はもうメロメロだ。 「父さんも元気でね!」 「あぁ。何か困ったことがあったらいつでも連絡するんだぞ、彼方」 「うん!」 父さんもどことなく頼りない感じのかなちゃんがやはり心配なようだ。 俺としてはそれももちろんそうなんだけど、かなちゃんが可愛すぎて、よからぬ輩に狙われたりしないだろうかとそっちの方がめちゃくちゃ心配だ。 ああああぁ……やっぱりちゃんと勉強して俺もかなちゃんの近くに進学しよう。 自分の想いを再確認した瞬間だった。 電車が到着し、かなちゃんは大きめのスポーツバッグを抱え母さんと一緒に電車に乗り込む。 いよいよかなちゃん出発の時だ。 メラメラとかなちゃんの近くに進学するぞと闘志を燃やす俺の隣で、父さんは手を腰に当てたり下ろしたり、ポケットから出したハンカチで汗を拭ったりと、そわそわ落ち着かない様子を見せている。 「じゃあ、またね!」 「かなちゃん!夏休みは帰ってきてね!」 俺が声を張り上げるようにして言ったと同時に電車のドアが閉まった。 扉のガラス越しにかなちゃんが手を振っている。 俺と父さんは電車が小さく、そして見えなくなるまで、その場で佇んでいた。 「なぁ啓太」 「ん?」 「彼方って、なんかこう……俺達と違う種類の男っていうか……、男臭くない男っていうか……」 「え……なんだよ突然。そんなの今更だろ」 え、この人何を突然。気持悪い。 「いやさ、父さんは男子高出身だからちょっと気になってな。あぁいう綺麗な男って男にもててたよなぁって」 あぁ、そういう心配ね。 俺と同じ事を心配するとは、さすが親子だ。 まさかかなちゃんが俺にもててるなんて思ってもみないだろうな。 ごめん父さん……! 「確かにかなちゃんは綺麗だと思うけど……。でもかなちゃん好きな人いるみたいだよ。その人とうまくいってるみたいだし大丈夫だって」 「そうか。彼方も年頃だしそんな相手がいてもおかしくないな。そうか、うまくいってるのか。まぁ、万が一彼方に手を出すような輩がいたら、父さんと啓太でノックアウトしてやろうな!」 ははは!と笑う父さんを後尻目に、俺は何とも言えない複雑な気持でいっぱいになった。

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