93 / 157

第93話 鉄橋

 笑ってください、と、あなたは言った。  初めて会ったのは旅先の無人駅。待合室に二人きり、日に四本しかない電車を待っていた。あなたは撮り鉄、僕は乗り鉄。お互いの得意と不得意を埋め合わせる会話をして時間をつぶし、ようやくやってきた単線に乗り込む頃には、話を中断するのが惜しいと思うほどになっていた。  けれどあなたは、途中に撮りたい駅舎があるからそこで降りるのだと言った。僕は終点まで乗るつもりだったから、この出会いはあなたが降りたところで終わり。そして、もう二度と会うことはないはずだった。それは正直名残惜しいことではあったのだけれど、こんな旅先の出会いは一期一会だからこそいいのだ……なんていう僕なりの美学もあった。  やがて電車はその駅に着いた。確かに古民家のような外観の駅舎は風情があった。でも、僕の目当ての終点まで行くには、これが本日の最終電車で、降りるわけにはいかない。あなたは予定通りに一人で降りた。その駅で降りたのはあなただけだった。あなたは振り返り、僕を見た。会釈した僕に「笑ってください」と言った。その声に顔を上げると、あなたは仰々しいプロ仕様のカメラを構えていた。シャッター音はドアが閉まる音にかき消された。  人物写真は撮らないと思いこんでいた。僕の周りの撮り鉄はみんなそうだったから。花も夜景も撮らない。撮るとしたら、花畑の向こうを走る鉄道を、夜景に浮かび上がる鉄橋を撮るのだ。でも、あなたは確かに僕にピントを合わせ「笑ってください」と言った。  二度と会えないと思ったあなたに、次に会ったのは仕事の取材。僕は鉄道マニア向け雑誌のライターになっていた。さぞかし日本中を回れるだろうと思ったのに、十年以上も在籍すると無駄な肩書がついて、ほとんどが編集部に籠もってPCとにらめっこする仕事になっていた。そんな僕が久々に担当することになった遠方の町への取材。行ってみると、駅舎のたたずまいと、渓谷にかかる鉄橋が美しいところだった。あなたはそこの市役所職員になっていた。町おこしの一環として、広報課長のあなたの提案で、その景色をカレンダーにして売り出したところ大ヒットとなった。そんな話題が取材の目的だった。  僕は一目で分かった。でもあなたはどうだろう。覚えていなかったら恥ずかしいと思って、初めてましてと挨拶した。でも、あなたはそれに「覚えていませんか?」と返してくれた。 「本当は覚えてます」 「そうだと思った。だって、ハッとした顔、してたもの」あなたはそう言って微笑んで、それから壁際のキャビネットから一冊の分厚いファイルを出した。「万が一にも君に会えることがあったら、お渡ししたいと思っていたんです。なくしたらいけないから、こんなところに」あなたはファイルから一枚の写真を取り出して、僕に渡した。今の半分の年齢だった、若い僕。  気付けば連休のたびにあなたの元に通うようになっていた。そんな暮らしが数年続いて、ある時から、訪れるたびにあなたが小さくなっていくことに気がついた。体調を気遣うと「もう年なんだからガタが来るのも仕方ない」と笑った。  そして迎えた最期の日、あなたはあなたの希望で鉄橋の見える病室にいたのに、窓ではなく僕のほうを向いて、「もう、いいかな。そろそろあの世に出発進行だ」と呟いた。 「僕もいきます。超特急で追いかけます」僕がそう言うと、あなたはかすかに微笑んだように見えた。 「私はね、君と初めて会った時のような各駅停車が好きなんだから。ゆっくりでいいよ。」 --------------- 診断メーカー「あなたに書いて欲しい物語」のお題にて作成しました。 https://shindanmaker.com/801664 古池十和さんには「笑ってください」で始まり、「ゆっくりでいいよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。

ともだちにシェアしよう!