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第129話 まるで世界の終わり

 いつまでもこの手をはなせずにいる。 「部屋の中で熱中症で死ぬ人も少なくないって実感する」  俺もそれには同感だ。今だって、すぐ隣にいるはずのおまえの声が、遠くに聞こえる。 蒸し暑い昼下がり、エアコンの効かない部屋に二人、手を繋いで行き倒れのように横たわっている。空気は重く澱んでいて、生ぬるいゼリーに閉じ込められた気分だ。 「冷凍庫に保冷剤があったかも」  俺が呟いたところで、おまえはそれを取りに行くでもない。しばらくしてから起き上がったのは俺だ。本当ならかちこちに固まっているはずの保冷剤は溶けかかっているが、多少はまだ冷たさが感じられた。電気が止まってからどれだけ過ぎたか忘れたけれど、氷がたくさん詰まっていたのと、長いこと開閉していなかったおかげだろう。無論、氷のほうは既に水だ。 「ひとつしかないの?」 「ああ」  だからといって、遠慮もしない。おまえは保冷剤を独り占めして頬にあて、わずかな涼を楽しんでいる。  俺は蛇口の下に顔を出し、直接水を飲んだ。それもやっぱり生ぬるい。 「僕も」 俺はもう一度同じことをする。ただし、今度は水を口に含んだまま。  口移しで飲ませる水は、まるで末期の水のようだと思う。ごくりと喉が鳴るのが聞こえる。喉を鳴らすほどの量ではなかろうに。 「ねえ、気持ちいいよ」  おまえは保冷剤を俺の頬に押しつけた。 「ちょっとは冷たいかな」 「そうだ、こうしたらいい」  おまえは俺を抱き寄せた。何がしたいのかと思えば、保冷剤を互いの頬で挟もうという企てらしい。そうすれば二人共がひんやりした心地を楽しめると思ったのか。  だが、当然のようにそれはうまく行かず、保冷剤はあっけなく滑り落ちた。それを戻そうともせず、おまえは俺に口づける。 「余計に熱くなった」  俺が言うと、おまえはくすくすと笑った。 「一度めちゃくちゃ熱くなれば、終わった時、涼しく感じるかも」  そんなわけはない。ここのところずっと、寝ても醒めてもそうしたじゃないか。めちゃくちゃ熱くなったって、熱い体はいつまでも熱いままだ。そうと知っていても、また貪り続けるしかないのだけれど。  俺たちにはもう、ほかにすることがない。  今度は俺から口づける。水を少々飲んだところで、この渇きが癒やされることはない。すぐに汗となり蒸発し、あるいは体液となり互いの体を汚していく。少なくともその汚れはこの数日間洗い流すこともしていない。だから、おまえの体に舌を這わせれば、どこもかしこも塩分だけでない奇妙な味がするし、おまえの中に入ろうとすれば、それまでの俺の残滓が既にへばりついている。  それでももう、ほかにすることがない。  電気は止まった。ガスも使えない。最後に止まるのは水道だと聞いてるけど、そんなことはどうでもいい。  こんなことだけする体力が残っているのが笑えると思いながら、俺はおまえを抱く。死を目前にした人間は性衝動が激しくなると聞いたこともあるが、それが種の保存という本能によるものだとしたら、なんという無駄な抵抗だと思う。俺とおまえから錬成される命などあるはずもない。  ことが終わると、何故か涼しくなった。まだ昼というのに外が暗くなっている。雨が降る気配はなさそうだが。そういえば最後に聞いたニュースで近々日食があると言ってたな。  おまえがぽつりと言った。 「まるで世界の終わりだね」 ------------------------- 古池十和さんには「いつまでもこの手をはなせずにいる」で始まり、「まるで世界の終わりだね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。

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