139 / 157

第139話 夕星 ( for ひまわり様)

 通っていた高校には天文台があった。中三の頃、ここを第一志望校に定めたのもそれが決め手だった。そんなものがあるぐらいなのだから、さぞかし活発だろうと期待して入部した天文部。しかし、その年の新入部員は僕一人だった。 「天文部の存続は君にかかってる。部員が七人以下になったら、同好会に降格と決まってるんだ」  二年の先輩が言った。二年も二人しかいない。そのうちの一人は部室を仮眠室としか思っていないような人だから、今の三年が引退したら次の部長になるのはこの先輩のはずだ。 「同好会だと何がまずいんですか」 「部費が出ないし、部室も使えなくなる」  狭い部室とはいえ、天体望遠鏡や双眼鏡、代々引き継がれている天体観測の記録が処狭しと保管されているし、壁には星空の写真を大きく引き伸ばしたパネルの数々が飾られている。これらの置き場がなくなるのは確かに困る。天の川のパネルに添えられた黄ばんだ説明書きを見ると「昭和何年夏合宿・○○山にて」などと書いてある。その時代は遠征して合宿するほどの部員がいたのだ。 「兼部でも幽霊部員でもいいから、誰か集めてよ」 「でも僕、まだクラスメートの名前も覚えてないし」 「三年の引退は六月なんだ。それまでにさ、なんとか。俺も二年に声かけるから」  僕がうまく返事できないでいると、部室の奥にあるベンチで昼寝していた、もう一人の先輩がむくっと起き上がった。「適当なこと言うなって」  寝癖がついた髪の毛をぼりぼり掻きながらそう言う彼と、次期部長の先輩の苗字は同じ――双子なんだそうだ。髪型も制服の着崩し方もまるで違うから印象は正反対だけれど、言われてみれば顔立ちはそっくりだ。 「じゃ、おまえに何か考えがあるわけ?」 「同好会でも廃部でも仕方ねえモンは仕方ねえだろ」  寝癖先輩は、大きなあくびをした。 「あの、できるだけ頑張ります。……だめだったらごめんなさい」  僕が言うと、「無理するな」という声が二重に聞こえた。  そんなことを言っていた四月が過ぎ、五月が過ぎ、クラスに友達はできても部活に誘えるほど親密になれることもないままに、六月になった。依然として天文部は二年生二人、一年生は僕一人。天文部は天文同好会に降格となった。 「すみません、部長」  僕は新部長に頭を下げた。 「もう部長じゃなくて会長かな? あれっ、なんか部長より偉そうじゃない?」彼はそう言って場を和ませると、少し真面目な顔をした。「呼び方は名前でも部長でもなんでも呼びやすいのでいいよ。三人きりしかいないんだから。だいたい、君より俺たちだよ、俺たちが二人ずつ新規部員連れてくれば七人になったんだ。こっちこそごめん」  そう言って謝る仕草をしてくれるけれど、友達が多い部長は何人かに声をかけて仮入部までは漕ぎ着けていたんだ。ただ、例の寝癖先輩がネックで、彼は同学年の間でもちょっとばかり浮いているらしくて、彼がいると知るやみんな入部を断る、ということが続いていた。 「それにさ、部費の補助は出なくなるけど、部室はこのまま使っていいっていうんだから、そうがっかりする必要もない」  それは僕たちへの温情というわけではない。部室のある平屋の建物が老朽化を理由に来春には取り壊されることになり、今更他の部活に譲り渡す意味もない、という学校側の判断に過ぎない。そしてその更に一年後には、校舎の改修も始まるらしい。 「改修したら……天文台、なくなっちゃうんですかね」  僕の呟きに反応したのは寝癖先輩だ。 「かもな。でも、ここで名簿だけ七人に水増ししたところで、それを理由に天文部のために天文台は残してやろうってことにはならないだろ」 「まだ僕、太陽の黒点しか見てないのに」  しょんぼりとうなだれる僕に部長が言った。 「そう言えば夜間の活動、最近やってなかったな。梅雨が明けたら観測会やるか。先生に夜間使用の申請しておくよ」 「はいっ」  とは言え、この年は梅雨明けが遅くて、明けたら今度は期末試験が控えていたから、結局観測会は夏休み期間に持ち越された。その代わりというわけでもないけれど、二泊三日の合宿ということになった。学校に寝泊まりする名ばかりの「合宿」でも、僕は充分にワクワクしていた。  ところが、だ。当日の夕方、意気揚々と部室に顔を出すと、そこには寝癖先輩がいるだけだった。 「あいつ、熱出してさ」 「えっ、大丈夫なんですか」 「大丈夫だよ。昔からそうなんだ。遠足の前に興奮しすぎて熱出すタイプ。学校に寝泊まりするだけなのに、何にそんなに興奮するんだか知らねえけど」 「……分かります。僕も昨日、ほとんど寝てない。ワクワクしすぎて、ほんと、こどもみたいですよね」 「マジで」  寝癖先輩が笑った。そんな風に笑ったのは初めて見た。よく寝るくせに寝起きの機嫌は悪くて、いつもブスッとしてるから。 「そんなに楽しみにしてたんなら悪ぃけど、そういうわけでさ、今回の観測会、中止にしてもいいぜ?」 「なんでですか? 先輩も具合悪いんですか?」 「あ、いや、元気だけど……俺と二人じゃ嫌かなって」 「そんなことないですよ」  先輩は少し驚いたような顔をして、少し遅れて、その顔が赤くなった。そんな先輩も初めて見た。  僕たちは一通りの準備をして、屋上の天文台に向かった。先輩は慣れた手つきでドームを操作する。それが意外だった。彼こそ「幽霊部員」の最たるもので、天体観測など興味がないとばかり思い込んでいたんだ。 「こっちはもう少し暗くなってからにして、まずは外に出てあれでも眺めるか」  先輩に誘われるままにドームを出た。西の空にひときわ明るく輝く金星は、肉眼でもよく見える。 「宵の明星」  僕の言葉に呼応するように、先輩が「ゆうずつ」と呟いた。 「えっ?」 「夕星(ゆうずつ)。夕方の夕に星、って書いてゆうずつって読むんだ。宵の明星のこと」 「へえ」僕は先輩の横顔を見て、再び「夕星」に視線を戻した。「明けの明星だったら、なんて言うんですか?」 「明るい星で、明星(あかぼし)」 「よく知ってますね」 「別に……」  先輩は照れたように笑った。僕はもう、金星よりも先輩の横顔ばかりを眺めていた。恋人に会えたかのような目で星を見る彼は部長とそっくりで、でも全然違って見えて、その顔が、やたらと格好良く見える。 「明けの明星も宵の明星も同じ金星なのって、おもしろいよな」 「そうですね」  朝の訪れを知らせる明星が部長なら、夜を告げる夕星はこっちの先輩だ、と思ったりする。 「星、ほんとうに好きなんですね。部長の影響ですか?」 「俺が好きなんだよ。あいつは、俺が小遣い貯めて天体望遠鏡を買ったのを見て、そんなに好きならってつきあいで天文部に入ってくれただけ。俺、星以外のことはほったからかしだから心配みたい。ま、それで自分が知恵熱出してるんだから世話ねえけど」  先輩がこっちを見て笑いかけてきたから、僕はドギマギしてしまった。ずっと横顔を眺めていたこと、バレただろうか。 「そろそろ戻るか。今日は、そうだなあ、とりあえずは、はくちょう座のアルビレオとか、こと座の」 「ダブル・ダブル。二重星めぐりですか」  先輩はニヤリと笑って、ついてこいというように手招きした。  その夜は、持参していたおにぎりの存在も忘れて、夜中まで観測に没頭した。でも、さすがに午前二時近くにもなると連続であくびが出て、先輩がそろそろ寝るかと寝袋を出してきた。その先輩は全然眠そうじゃなくて、ちょっと悔しい。 「あ、もしかして先輩がよく昼寝してるのって」 「毎晩、家で望遠鏡覗いてる」 「すごいな、ガチじゃないですか」僕はそう言いながら気が付いた。「じゃあ、わざわざこんな合宿なんかしなくてもよかったんじゃないですか。すみません、僕があんなこと言ったから」 「そんなことないよ、やっぱこっちのほうが家のより何倍も高性能で、俺ももっと有効利用したかったんだけど」先輩はドーム中央に佇む天体望遠鏡を愛しそうに撫でた。「でも、個人的に使うわけにはいかないし、夜間使用申請するのは面倒くせえし、で、ちょうどよかったんだ」 「……天文部、もっと盛り上がればいいのに」 「だからって、興味のない奴の名前だけ集めても仕方ないと思うけど。そんなんだったら、おまえと二人で見るほうが何倍も楽しい」 「え」 「ま、いいや、寝ようぜ。明日もあるんだ。今日は少し雲があるけど、明日は晴れるらしいから、うまく行けば撮影もしよう」 「明日は部長、来られますかね。……あっ、あの、二人でも全然楽しいから、いいんですけど、せっかくだから部長も高性能の望遠鏡覗きたいんじゃないかな、と」 「どうかな」先輩が寝袋にもぐりこむ。「あいつは元々それほど星が好きなわけじゃねえから。アルビレオも知らないよ」 「そっか……」僕も先輩の隣の寝袋に収まった。代々受け継がれているらしい寝袋は、ちょっと変な匂いがするけど、ガマンガマン。 「おまえが入部した時はすげえ喜んでたよ。俺と同じぐらいの天文好きが来たぞって」 「す、すいません、僕なんかで」 「そんな風に思ったことねえよ。……俺だって嬉しかった」  僕はなんだか、先輩のことを寝袋ごとぎゅっと抱きしめたくなった。星が大好きで、人付き合いはちょっと苦手な、不器用な人。 「天文部が同好会になっても、同好会ですらなくなっても、空はどこからでも見えるだろ。だから、そんなのはどうでもいいんだ」暗闇の中で先輩の声だけが響く。「俺は、好きな奴と夜空が見られれば、それだけでいいんだ」  本当は、好きな奴、の前には「星が」がつくんだろう。同好の士と天体観測がしたい、そういう意味で言ってるのは分かってたけど、あえて、言葉通りに心に刻んだ。 『好きな奴と夜空が見られれば、それだけでいいんだ』  それは愛の告白みたいで、いつかそれがほんとうに僕への言葉として言ってもらえたら、どんなに嬉しいだろうと想像しながら、眠りに就いた。 (了) ----------------------------------------- *iqイケそな正解者景品作品 ひまわりさんからのリクエストお題は「夕星」 縦書きの画像版はこちらから https://fujossy.jp/notes/23206/

ともだちにシェアしよう!