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第140話 六尺 ( for さほり@さつきしほ様)

 春先に肺の病に罹り入学が遅れ季節外れの入寮となった。風呂敷包みひとつの私物を持って指示された部屋に向かう。同室の者は俺と同じ学年と聞いているが、たかが四ヶ月足らずの先住に偉ぶる奴でなければ良いがと要らぬ危惧をしながら戸を叩く。 「どうぞ」  少なくともその声は存外に爽やかで安堵した。 「失礼、仔細(わけ)あって四月には間に合わなかったが今日から世話になる、平澤武雄(ひらさわ たけお)だ。宜しく頼む」 「こちらこそ。僕は君と同じ文科甲類の貴船宗一(きふね そういち)。君のことは聞いているよ。もう体はいいのかい」  気さくでありながら品の良さを失わない貴船の物言いに、俺は早くも絆された。 「なあに、なんと云うことはない。元は頑丈な作りで、ちょっと長めの鬼の霍乱といったところだ」 「それなら良かった。勉強の遅れを取り戻すのは大儀だろうが、同じ文甲の(よしみ)だ、僕に出来ることはしてやる」 「それは心強い。だが生憎(あいにく)勉強ならしてきた。それしかやれることがなかったからな」俺は風呂敷の中から饅頭を出す。「ほら、こいつは俺の郷里(くに)のものだ。汽車の中で食えと渡されたがまだ残っていた。珍しくもない饅頭だが、脳は大量の糖分を必要とするから善いだろう」 「黒糖か。好物だ」  貴船の言葉は世辞ではなく事実(ほんとう)のようで、すぐさま饅頭にかぶりついた。面長の貴公子然とした顔の輪郭が冬場の栗鼠(リス)のように膨らむのが可笑しい。最後にはご丁寧に指先にこびりついた餡まで舐めとる。そんな行儀の悪い仕草とは裏腹に、俺はその細い指のしなやかなことにしばし見惚れ、無意識に自分の節くれだった指を折り込んだ。  饅頭ひとつで懐柔出来たとは云わないまでも、このほんの半時ほどで互いの距離はほぼ零になった気がした。この急激な親密ぶりを周囲からは奇跡と呼ばれていたのを知ったのは更にひと月の後だった。  俺の前以外では、貴船は難しい男として通っていた。「なり」はいかにも心細い薄い体をした小柄な男で、俺よりもよほど虚弱に見えても、その実、気性は激しく理屈っぽく、弁論にはお誂え向きだが日々の生活を送るにはいささか傍若無人で敵の多い性格をしていた。特に色恋の話などにうつつを抜かす軟派を見れば、話に呼ばれずとも「ああ、情けない、かくも莫迦ばかりとは」と聞えよがしに云ってみせ、そうなると最早いちゃもんとしか云いようもなく、たまに仲裁を買って出ていた俺としても庇い切れないことがしばしばあった。 「何故あんなことを云う?」  部屋に戻ると俺は貴船に尋ねた。 「僕はここに勉学をするために来たのだ。女の尻の話をするためではない」 「あいつらも然るべき時には勉学に励んでいる。特にさっき食って掛かった相手はこの前の試験で一番の奴だ。普段寝食忘れて勉強してるんだ、いくら潔癖だとて、たまの戯言ぐらい聞き流してやればいいじゃないか」 「潔癖? 僕がか?」 「貴船は女の話、性愛の話となると一層むきになる。よほどその手の話題が気に食わないのだろう。まあ、興味を持つ時期には個人差があるだろうが、自分の未熟を八つ当たりするのはよしたほうが賢明だと思うぞ」 「未熟とはなんだ」  貴船の目がかっと見開く。怒りの炎で赤く見えるほどだ。その短気こそが未熟の証と気づかぬのがむしろ微笑ましく思えてくる。 「そうまで云うなら、(タケ)はよほど成熟しているのだろうな」  貴船は作戦を変更したらしく、わざとのように薄ら笑いをして、そんなことを云った。しかし、俺は貴船の煽りになど動じない。寝食を共にし授業も共通、四六時中近くにいる仲なのだ、その声がかすかに震えていて動揺していることにも気づく。他の者は気づくまい。貴船にタケなどと下の名で呼ばれるほど親しくしているのは俺の他にいない。 「さあて、どうだか」  俺はとぼけてみせた。なんのことはない、俺とてただひたすら勉強して受験に臨み、ようやく桜咲き青春を謳歌するという段になって病に臥せ、人より遅れて親元を離れた身だ。何の経験があるわけもない。 「……武は、生えているな?」 「は?」  思わぬ言葉が飛び出して、俺は貴船相手に今までで一番驚いた。 「風呂で見た。武の下腹は、確かに立派なものだった」 「そう立派な腹はしていないと思うが」  俺は胃のあたりに手を当てる。 「その腹ではない。下腹だ。臍より下、もっと下だ」  俺は貴船の声に合わせて手を下げていく。 「成程、生えているというのは、ここの毛のことか」 「黙れ」 「無茶を云う奴だ。お前が云い出したことだろう」 「五月蠅い」  珍しく理屈に合わない言葉を吐いて、貴船は寝台に向かった。二段になった寝台の、上を俺が、下の段を貴船が使っている。小柄で軽そうな貴船が上がいいような気もしたが、先着順でそうと決まってしまっていた。そうとは云わないが、どうやら上の段だと天井が低く迫って見えるのが苦手らしい。 「そう云えば、お前の裸をまともに見た覚えがないな。一緒に風呂を使うのに不思議なことだ」  俺は思ったままのことを口にした。貴船は蒲団を被って背を向けた。 「今の話からすると、貴船はまだ下の毛が生えていないのか」  そう云いながら寝台に近づき、貴船を見下ろした。 「そう気にするな。なくて困るというものでもなし」 「……困る」 「何が。生えたら生えたで、蒸れるし不潔だし挟むと痛い。いいことなしだ」 「挟む?」  貴船がくるりと振り向いた。怒りや羞恥より興味が勝ったようだ。 「(ふんどし)を締める時に巻き込むのだ」 「そういうものなのか?」 「さあ、他の奴は知らん。俺がよほど毛深いか不器用なせいかもしれない」  貴船がふっと笑った。 「さほど毛深いとは思わない。不器用でもないだろう。風呂場の戸を直したのも武だと聞いた」 「ああ、家が建具を扱ってるから、そういったことは得意だ」 「そうか、すごいな」 「お前は下の毛に敬意を表すのか」  貴船が、今度は声を立てて笑い、上半身を起こした。 「実に莫迦莫迦しい」貴船は自分からそう云うと、突然シャツを脱ぎ始めた。「僕は武の云う通り幼稚で未熟だ。そして、それは劣等感から来るものだという自覚もある」  貴船はすっかり上半身を脱ぐと、腕を上げて見せた。すぐに上の段の床板だから、まっすぐ伸ばすことはできないが。 「髭剃りも必要がない。それにここも」  貴船の腋窩には産毛の一本すら生えていなかった。 「だから色恋の話など聞きたくないと?」 「ああ、そうだ。正確には、男でも女でも、風呂でも水泳でも相撲でも、裸の話題をされるといたたまれない。皆が僕を嗤っている心地になる」 「そんなこと思いもしなかった」 「気にしてるのは僕だけだ。それも知っている」 「……笑わんよ」  実際、俺は笑わなかった。笑えなかったのだ。沈痛な面持ちで告白をする貴船を見れば。 「それなら好い。もう気にしないことにする」 「そうと決めても気になるのだろう?」 「ああ」  貴船は一拍()いて、俺を凝視した。 「なんだ? 今度は俺の髭が気になるか? 今朝あたったばかりだが」 「いいや。気にならない。武のことは」 「そうだろう、俺の毛の行方など、お前の興味の対象にする価値もない」 「違う、そういう意味ではない」 「それならどういう」  云いかける俺を口止めするように、貴船が俺の腕をつかんだ。 「武のことであれば、すべてが気になる。知りたいと思う。そして、何を知っても、嫌な気分にはならないのだ」 「貴船?」 「その上、武にも僕のすべてを知ってもらいたいと思うのは傲慢が過ぎるだろうか」 「……」  貴船の目が、怒りの赤から情欲の赤へと変わった気がした。  俺は貴船の肩に触れ、それから胸へと滑らせた。つるりとした肌だった。 「美しい肌をしているのだな。今、知った」  貴船は俺の手を取り、自らの下腹へと(いざな)った。「僕のことをもっと知りたいと思え。そう云ったら、武は呆れるか?」 「いいや」  俺の指先を臍の下まで連れて行った挙句に、貴船はそこで手を止めた。「手始めに、何が知りたい?」  答えなどもとより知れたことだ。 「貴船の肌が、どこもかしこもこのようなのかを」 「確かめたいか」 「ああ」  貴船が俺の手を放し、それから抱擁を求めてきた。俺は堪らず中腰になり貴船を抱きかかえるようにして、口を吸った。  そこからは無言だった。俺はまず貴船のズボンを下ろした。露わになった膝下も太腿も、やはりつるりと磨きあげた肌をしていた。この肌を恥ずかしく思う必要などひとつもないと思った。  そして締め込まれた褌に手をかける。自分のものならどうということもない作業ながら、他人のものを解くとなると意外と難儀する。不器用に腰骨と布の間に差し入れて探る指に、貴船はぴくりと体を震わせた。  そこまで来て、貴船の言葉を思い出した。「武はよほど成熟しているのだろう」、もし本当にそう思っているならば、この不慣れな仕草に違和を覚えるのではないかと思う。だが、それも妙な勘繰りだ。女との経験が豊富なだけならば、他人の褌など解き慣れておらずとも不思議はあるまい。  かように集中力に欠けた状態だったのには事情(わけ)がある。そうやって意識を散じていなければ、すぐにでも果ててしまいそうだったのだ。見慣れたはずの貴船の顔が、汗ばみ、紅潮し、俺を求めていると分かると、どうにもならない衝動につきあげられるのだ。  やがて俺は褌の端を探り当て、順に捻じりを解いていった。 「あ……あっ、武ッ」  まだ何もしていない。ただ腰回りがざわつくだけであろうに、貴船は断末魔のように喘いだ。それを黙らせるべく、口を口で塞いだ。もう手探りだけで褌を解くことはできる。  ふわりと布が広がる気配がした。それと同時に、その芯に手を当てた。無論、そこにも毛はないことが確かめられた。 「貴船」  俺は耳元でそう囁き、耳朶を噛んだ。いよいよ貴船の息が上がる。 「ああ、やはり、恥ずかしいな」  荒い呼吸の合間に貴船が云う。 「どうして。とても美しい」  俺は体をずらして、貴船の足の間に顔を寄せた。 「やめろ、見るな」 「貴船の。……宗一のすべてが知りたいと云っても?」  貴船はぐっと押し黙った。俺は子供のような肌のままの、しかし子供ならばこのように猛ることのないであろう貴船のそこが萎えないことを確認しながら、自分のズボンも脱ぎ、さっきの三分の一ほどの手間で褌を解いた。蒲団の上にぞんざいに投げ出された二枚の布は、じきにどちらがどちらの所有のものか分からなくなることだろう。 「武」  まるで俺の股間に話しかけているような角度で貴船が云う。 「俺が一番知りたいことが分かるか、宗一」 「一番知りたいこと?」  貴船は顔を上げた。 「宗一は俺に惚れてるのか?」  いつもの傍若無人ぶりはすっかり消え失せ、貴船は見る間に泣きそうな表情になる。 「そうでなければこんなことをする理由がない」  蚊の鳴くような声だ。貴船の息遣い、いや俺の鼓動のほうがよほど騒がしい。俺は貴船の中心に己が情動を押し当てた。そのまま押し進めたいのはやまやまだが、あまりにも期待に満ちた目で見つめてくる貴船に、少しばかりの制裁を与えたくなった。常日頃、貴船の悪行の尻ぬぐいをしてやっているのだから罰も当たるまい。 「それでは俺のような鈍い者には理解不能だ。いつものお前らしく、明白な言葉で云ってくれ」  貴船は最後の矜持まで奪われまいと俺を睨みつけたが、二、三度股間を擦り上げてやると、ついに告白をした。 「好きだ」 「なんと、俺もだ」 「……莫迦莫迦しい」 「互いのことがまたひとつ知れたな?」  俺が云うと、貴船は嬉しそうに頷きながらも云うのだった。 「だが、まだだ。まだ足りない。もっと深く僕を知りたいと云え」  俺は厄介にも絡みつく六尺の布を足先で寝台から床に蹴り落とす。 「ああ、勿論だ。もっと深く」 「奥まで」  そうして俺は貴船宗一という男の、貴船自身さえも知らぬところの熱までをも知りたいと欲し、その通りにしたのだった。 (了) ----------------------------------------- *iqイケそな正解者景品作品 さほり@さつきしほさんからのリクエストお題は 「褌をエモく脱がせる描写を見たい」……ご期待に添えたのかどうか。 初褌です。褌だけに随分と尺が長くなってしまいました。 縦書きの画像版はこちら https://fujossy.jp/notes/23225/

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