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第149話 迷えるショコラ ※「その恋の向こう側」番外編
人込みが嫌いなはずの涼矢が、よりによってバレンタイン間近な百貨店に行きたいと言う。
「どうしても今日じゃなきゃダメだったのか?」
「だって明日までだから」
そんな会話をした一時間後には百貨店にいた。エレベーターはお年寄りやベビーカーを押すファミリーに譲っていたら永遠に乗れそうになかったから、エスカレーターで催事場のある七階へ向かうことにした。斜めに上昇していく壁には「バレンタインフェア」の文字ときらびやかなチョコレートが踊っている。フェアはバレンタイン当日、つまり明日までだ。
「通販でも買えるだろ」
「買えない」
涼矢はそう断言した。買えない理由を教える気はなさそうだ。
ひとつ上がるとUターンして、また上へ。やっと六階までたどりついたと思ったら、上りのエスカレーターがない。
――催事場へは連絡通路で本館へ
おそらく涼矢もほぼ同時にその案内板を見たのだろう。連絡通路方向を示す矢印に沿って歩き出す。
「迷路みたいだなあ」
和樹は呟く。
「おまえにとってはどこだって迷路だろ」
鼻先で笑いながら涼矢が言う。和樹の方向音痴をたまにこうしてネタにする。
「ひとりで地下鉄乗り換えられないくせに」
和樹は言い返す。東京暮らしに関しては一日の長がある。
「俺の場合は、とっさに分からないだけで乗り換え案内見れば分かる」
「減らず口」
「単なる客観的事実だ」
またこれだ、と和樹は呆れる。こんな奴のどこがいいんだか、と思う。
「着いた」
連絡通路で本館に渡り、ひとつ上へと移動してようやくたどりついた催事場。入り口には参加店舗のリストと、場内マップが貼りだしてある。手元で見るためのパンフレットも用意されていた。涼矢はそれを一枚取り、歩き出す。
和樹は既に圧倒されていた。所せましと並ぶ店舗。店番号と店名が書かれたプレートは、各店の店頭の高いところに掲げてある。そうしなければ店名すら分からないほどごった返しているのだ。涼矢もそれを目印に目当ての店に向かっているのだろう。
人の隙間から垣間見えるショーケースには、バラの花をかたどったチョコや、一見しては和菓子に見えるチョコ、宝石でも入っていそうなパッケージ等々、和樹が日頃見ることのない個性的なチョコの数々が並んでいる。そんなものに気を取られているうちに涼矢を見失った。
やばい。また迷子かと馬鹿にされる。
和樹がそう思った瞬間、袖口を掴まれた。
「こっち」
涼矢はそう言い、そのまま和樹の手を引いた。
「え、ちょ、おいっ」
さすがにここで――バレンタインイベント開催中の百貨店の催事場で、男二人が手を繋いでお買い物、というのは抵抗がある。
「俺たちのことなんか誰も見てないよ」
そう言われて、和樹は改めて周りを見回した。バレンタインのチョコを買いに来るのなんて若い女の子ばかりだと思っていたけれど、案外そうでもない。老舗百貨店という場所柄もあるのか、年齢層は結構高そうだ。カップルや家族連れ、男性の一人客もそれなりにいて驚いた。
「今年の限定がこの抹茶のでね、先週買ったんだけど超美味しかったよ」
「そうなんだ。私もそれ買おう」
「ねえねえ、さっき前通ったお店の、めっちゃ可愛くなかった? 猫の」
「私も気になってた。じゃあ、あれにしよっか」
「あとさ、チョコに合うお茶も買って行こうよ」
通りすがりの女性たちが楽し気に話しているのが聞こえてきて、和樹は気づく。彼女たちはどうやら「プレゼント」を探しに来ているわけではなさそうだ。自分たちが楽しむためのスイーツを物色しにきていて、そして、その「探す」という行為自体がひとつの楽しみでもあるらしい。
ふと涼矢の手が離れた。
「これ」
ぶっきらぼうに言う涼矢の視線の先には「濃厚ショコラソフトクリーム」ののぼり、と、それを販売しているらしき店舗があった。
「イベントのときしか食べられないんだ」
「お、おう」
それから涼矢はツカツカと店員の元に行き、ふたつ、と注文した。和樹はそっと値段を見る。六〇〇円ほどもする。ソフトクリームにしては相当に高い。
「ひとつでいいんじゃない」
和樹は小声で耳打ちした。
「ケチくさいこと言うなよ。俺が払うんだからいいだろ」
元々シェアするのは苦手な二人だ。和樹も素直に引き下がる。
「はい」
涼矢が出来上がった高級ソフトクリームをひとつ、手渡してくる。値段なりに特大……ということはなく、むしろ小さめだ。
「あっちにイートインコーナーがあるんだって」
またも涼矢の言うがままに、着いていく。イートインコーナー、などというからテーブルセットでもあるのかと思ったが、ただ通路に椅子が並んでいるだけだ。それでも涼矢は文句も言わずにふたつ並んだ空席のひとつに座る。和樹はその隣に。
「これが食いたかったのか?」
「うん」
「……金、あとでいい?」
「いや、いいよ。俺が食いたかったんだし……。あ、そうだ、おまえの誕生日ケーキの代わりってことで」
「ケーキより高くついたんじゃないか? ソフトクリームで六〇〇円ってボッタクリ……でもないか。確かに美味いな、これ」
「ですね」
「何故急に敬語」
「ショコラティエに敬意を表して。期待以上に美味しかったので」
「それはよかった」
「でも、やっぱり二人でひとつにすればよかったかな」
「え」
和樹はまったく逆のことを考えていたところだったから、戸惑った。思ったより小さめだし、何より美味しい。それぞれひとつずつにしてよかった、と。
椅子は通路の反対側にもいくつか並んでいる。和樹と涼矢の斜め前には、さっき和樹が会話を立ち聞きしたような、友達同士で繰り出したらしき女性が二人座っていた。手にしたひとつのソフトクリームを交互に舐めあっては楽し気に笑っている。会話は聞こえないが、頬と頬が触れ合いそうなほどに顔を近づけたり、時々互いを見つめ合ったりするさまは、恋人同士のようにも見える。
ほどなく和樹も涼矢もソフトリームを食べつくしてしまった。彼女たちのようにちまちまと一口ずつ舐めているわけではないから、仕方がない。
「よし、行くか」
「うん。つきあってもらって悪かったね、ありがと」
「じゃあ最後にひとつだけ、俺につきあえ」
「もちろん。服でも見ていく?」
和樹はふふんと笑い、再びソフトクリーム店へ行く。
「三〇分以内ならテイクアウトOKだって」
戻ってきた和樹の手には、またあのソフトクリームだ。ただし、今度はひとつだけ。それにクリーム部にはプラカップが被せられていた。
「え」
「俺の乗り継ぎテクを駆使すれば、ギリ三〇分以内で帰れるから」和樹は涼矢に向けてニッと笑う。「ダッシュで帰って、家で好きなだけ舐めあおうじゃありませんか」
涼矢は一瞬びっくりしたあと、破顔一笑した。
「電車は任せた。……けど、そっちは出口じゃないよ、和樹」
おわり
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