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第150話 竹籟(ちくらい) ( for 谷村にじゅうえん様 )

 光る竹を見た。そう言うと、昔話でもあるまいに何を言っているのかと一蹴し、そんなことより新居の話だと不動産屋の資料を広げる。  君のマイペースぶりにはもう慣れたから、怒る気にもならない。  僕と君の間で、目下いちばんに考えなければならないのは二人の新居、それも間違いではない。何しろ高校で出会ってからもう七年目だ。人目を忍んでつきあいはじめた僕たちは、今もまだ周囲の人々には「仲の良い親友」として認知されていて、本当の関係を知る者は僕たち二人以外にない。  このままでいいなんて思っちゃいない。けれど、どうしていいか分からないまま来てしまった。 「どこか遠くに行こう。俺たちのこと、誰も知らないところで二人で暮らそう」  君がそう言ったのは今から二ヶ月前、僕が転職を考えはじめたときだった。先の見えない業界に嫌気がさして、かと言って新しい環境に一人で飛び込む勇気もなくて、そんなタイミングの君の言葉に、僕はつい頷いてしまった。  ここぞとばかりに張り切って、君は不動産屋めぐりをしては、僕にここはどうか、そっちもいいぞと大量の資料を見せてくる。  君との二人暮らし。それを想像するだけで心躍る。その反面、優柔不断な僕と、どこか浮世離れした君との共同生活が上手くいくのか不安でもあった。 「なあ、本当にいいのか」  僕は何度繰り返したか分からない質問をする。いいに決まってるじゃないか。何度でもそう断言する君のほうが、僕よりはるかに犠牲にするものが多い選択のはずだった。僕は早くに両親を亡くし、兄弟もいない。地元のつきあいには何の未練も無い。だが、君は。 「親父さんにどう言い訳する? 君を慕ってくれるお弟子さんだっているんだろう?」  君は「その道」では名だたる名家の生まれだった。次期宗主としてなんの曇りもなく期待されている存在。一人暮らしの僕の元に軽率に転がりこめない理由もそこにある。 「何の問題もない」君はきっぱりと言う。「俺ひとりが出奔したからといって、それで廃れるような代物じゃない。先代だって元は余所から来た弟子の一人で、それを婿養子にして体裁を整えたんだ。伝統だの継承だの言ったって抜け道なんかいくらでもあるし、俺の代わりだっていくらでもいる」 「でも、ほかに何ができるんだ?」  君に今更現場仕事だの事務だの販売員だのが務められるとも思えなかった。今だって和服を粋に着こなして、そんな佇まいも惚れている要素ではあるが、おおよそ"一般人"の風情ではない。かと言って有り余るほどの才能と実力を生かして別の流派にもぐりこんだところで、狭い世界だ、おのずと素性は知れてしまうことだろう。こうなってみると、取り立てて秀でた一芸もなく、しがない勤め人をしてきた僕のほうがまだつぶしが効くというものだ。 「なんだってするし、なんだってできる。おまえがいてくれさえすれば」  だが、君は自信満々にそう言って僕の手を握り、極上の笑みを浮かべた。ああ、この笑顔にしてやられたのだ。君を独占して表舞台に立てなくすることが、この国にとってどれほどの文化的損失か、想像できないわけじゃない。それでも、手放せない。そうやって七年間、答えが出せないでいた。しかし、それもいいかげん限界だろう。 「本当にいいのか、僕で」 「おまえがいい」 「……分かった。僕も覚悟を決めたよ。一緒にいよう。いや、いてほしい。これからもずっと。僕も、君さえいてくれれば充分だ。ほかに何も要らない」  やっとのことでそう言った。すると、僕の手を握る力がグッと強くなった。 「ありがとう。じゃあ、早速行こうか」 「え? どこへ?」 「新居さ」  言葉とは裏腹に、大量の不動産資料には目もくれず、君はずんずん歩き出す。手を握られている僕は、引きずられるようにしてついていくしかない。  やがて見覚えのある場所にたどりつき、君は歩を止めた。そこから先は私有地、というか誰の所有か知らないが、竹の生い茂る里山だ。 「あれのことだろう?」  君の指差す先には、そう、僕が行きがけに見かけた、光る竹。だが、僕が見たときより、ずっと明るく輝いていた。 「行こう」  僕は再び引きずられて竹林に入り込む。おい、勝手に入っていいのか。そう声をかける隙も与えず、君は突き進む。 「さて、最後の確認だ。おまえは本当に俺と二人きりでいいのか? この先もずっと」いつになく真剣な眼差しに、一瞬言葉に詰まった。「今ならまだ、引き返せるけど」重ねて詰め寄る君の背後の竹が、いっそう明るく輝き、目が眩むほどだ。 「いい」僕は今度こそはっきりと言った。「君がいいなら、いい。僕は君と一緒にいたい。ほかに何も要らない」 「ずっとか?」 「ずっとだ」 「その言葉が聞きたかった」  その瞬間、気を失ったらしい。  目を開けたときには、何やら不思議な空間にいた。青竹のような香りが漂っていて、辺りの景色からしてさっきまでいた竹林にいるには違いないのだが、どうにも妙だ。  四方八方の竹は高くそびえ立ち、視界を遮る。まるで美しく静謐な竹の檻に閉じ込められたかのようだ。そこから抜けようと歩くが、あるところまでたどりつくと、その先に進めない。見えない壁があると言えばいいのか。いや、壁だけではない。床もそうだ。地面は見えるが、その土を踏むことはできない。天井には手が届かないが、おそらく同じだろう。  つまり僕は、竹林に浮かぶ透明な箱の中にいる、ということになるわけだけれど。 「どういうことだ? ここは一体……?」 「竹の中だ。さっきおまえが見た、光る竹の」 「なんだって?」  立派な真竹と言っても竹は竹だ。竹筒の中に成人男性が二人、どうやって入り込めると? 「信じられないのも無理はない。ここは今まで俺たちが過ごしていた世界とは違う次元にある。そうだな、言わば夢の中みたいなもの」 「夢の、中?」 「あるいは霊界。ブラックホールの先。なんでもいい、とにかくこの星の人間には正確に認知できない座標だ」 「……」 「心に決めた伴侶を見つけたら、こうして座標に来て、回路を開き、俺の星へ連れて帰る。俺たちに雌雄はないけれど、異種族と交配しないと繁殖できないから」 「何を言ってるんだ?」  僕は思わず後ずさる。 「そう怖がるなよ。この星の人間とは相性が良くて、昔から交配相手には人気なんだ。その証拠に古い物語もあるだろう? 今は昔、竹取の翁という者ありけり……」  竹取物語。随分と久しぶりにその古典文学を思い出す。 「つまり、君はかぐや姫ってことか?」  君は笑いながら、僕の肩を叩く。 「大丈夫、蓬莱の玉の枝を持ってこいなんて言わないよ。俺の星は月よりずっと遠いけど、地球よりはるかに文明は進んでいるし、負けず劣らず美しいところだ。きっと気に入るよ。ただ……」 「ただ?」 「俺たちはもう、ここには帰ってこられない。誰も知らない遠い星で、死ぬまで過ごす」  突拍子もないその物語は、作り話としてはよい出来とは言い難いが、今の僕には魅力的に思えてならなかった。  僕は肩に残ったままの君の手を取り、その甲に口づける。 「誰も知らない遠い星で、最期のときまで君と一緒か。悪くないかもな」  光る竹の姫君の正体が何者だったかなんて、僕は知らない。ただ、目の前の君は誰よりも光り輝いて見える。そんな君をずっと独り占めできる僥倖を噛み締めるばかりだ。僕は君を抱き寄せ、その胸に顔を埋めた。 「いいよ、行くよ。君が宇宙人でもかぐや姫でも、愛してるからね」 「俺も愛してる」  いよいよ辺りが目映く白み、眩しさに目をつぶる。同時に重力を失う心地がして、思わず君にしがみついた。  強く抱き返してくれた君の腕の中で、竹籟(ちくらい)の音が徐々に遠ざかっていった。 (終) ----------------------------------------- *iqイケそな正解者景品作品 谷村にじゅうえんさんからのリクエストお題は「(にじゅうえんさんの)正解イラストに合わせたお話」 企画から二年近く経過してしまいました、すみません本当にすみません(滝汗)

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