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第152話 乞巧奠 *「その恋の向こう側」番外編

 社会科見学だったか、遠足だったかは忘れた。ただ、小学生の頃の校外行事だったことは覚えている。半球の天井を見上げていると、やがて辺りは暗闇となり、一番星が輝いた。季節の星座の説明がなされたのちには、星にまつわる物語の映像が映し出された。 「みなさんは七月七日が何の日か知っていますか」  そんなナレーションに、涼矢は心の中で「僕の誕生日」と返事をした。もちろん続くナレーションはそうは言わない。 「そう、七夕ですね。短冊に願い事を書いたことがある人も多いでしょう。今日は七夕のお話です」  七夕の物語なら知っている、と涼矢は思う。きっとここにいる全員、知ってる。せっかくのプラネタリウムなのに、誰でも知ってる昔話のアニメーションを見せられたところで、誰が喜ぶのだろう。  プラネタリウム自体は楽しみだったのだ。以前父親に連れて行ってもらった別のプラネタリウムでは、こんなチャチなアニメなどではなく天体についての専門的な解説がされていて、大いに知的好奇心を刺激された。それなのに、今日のこれはなんだ。小学生向けのプログラムなんだろうが、どこか馬鹿にされている気がする。――涼矢はアニメが流れている間じゅう不満を募らせていた。  やがてアニメは最後の場面に差し掛かる。 「こうして二人は、年に一度しか会えないことになってしまいました」  フェードアウトする織姫と牽牛。それすらも消え、再び星空になるとホッとした。 「さて、今のお話の二人は、星座で言うと、織姫はこと座のベガ、そして、わし座のアルタイルが牽牛、つまり彦星ということになります」  ナレーションに合わせて、それぞれの星がポインターで指し示された。 「間にあるのは天の川です。二人は天の川を挟んで離れ離れになってしまいました」  暗がりとゆっくりとした口調に、涼矢は眠気を誘われる。 「ではみなさん。二人はいったい、どのぐらいの遠距離恋愛だと思いますか。北海道と沖縄ぐらいでしょうか。それとも日本とブラジルぐらいでしょうか」  ウトウトしながら、そんなに近いわけがあるかと頭の中で悪態をつく。 「もっと遠いですよね。では、地球と月ぐらいでしょうか。いえいえ、それよりずーっと離れているのです。正解は約15光年」  涼矢はパチリと目を覚ました。15光年。光の速さで、15年かかる距離。そうだろう、星と星との距離だ、そのぐらい離れていてもおかしくはない。知識としては納得が行く。でも、想像はつかない。 「光年とは光が1年で進む距離の単位です。たとえば、彦星から織姫に光と同じ速度で通信できる機械で『おはよう』と伝えたとしますね。それが織姫の元に届くのに15年かかるということです。織姫も『おはよう、元気?』とお返事をします。すると、また15年かけて彦星に届きます。つまり、このやりとりをするだけで30年かかるんですね」  なんと気が遠くなるラブコールだろう、と思う。二人が同じ年だとしたら、10歳の彦星が発信したメッセージが織姫に届く頃、織姫は25歳になっている。即座に返事を出したって、受け取る彦星は40歳。どんなに急いでも次のメッセージが届くときには55歳になっている織姫に、彦星は何を伝えたいと思うのか。二人は死ぬまでにどれだけの言葉を交わせるのか。 ――星の寿命を考えれば、それでもあっという間かもしれないけれど。  涼矢はぼんやりと考える。人間の寿命って短いなあ、とも思う。 「どうした、ボーッとして」  和樹の声に、涼矢は我に返った。 「あ、いや、別に」 「眠くなるにはまだ早いだろ」  和樹はそう言って笑うと冷蔵庫に向かった。きっとバースデーケーキの準備だろう。誕生日の主役なんだからと、今日はキッチンに立たせてもらえない。夕食もすべて和樹がセッティングしてくれた。まだ早いと言われても、ほろ酔いで満腹の状態で何もせずじっとしてろと言われるんだから、少しぐらいウトウトしてしまっても仕方がないだろう、と涼矢は思う。  ウトウトして……なんだっけ、夢を見たような。いや、あれは実際の昔の記憶か。小学校の頃の、社会科見学だったか遠足だったかで行ったプラネタリウム。そうだ、和樹との初デートでも訪れた。暗闇に乗じて、初めて手を握った。 「今度はなんだよ、ニヤニヤして」  予想通り、和樹はケーキを持って戻ってきた。 「……好きだよ」 「は? なに、いきなり」  照れ臭そうに和樹が笑う。 「和樹は?」 「……はいはい、好きですよ。って、だから急になんだっての」 「15年光年離れてなくてよかったなって」 「あ?」 「好きだよって言ったら、すぐ返事が聞けるって最高」 「よく分からんけど、最高ならよかった。じゃ、恒例の」  和樹はケーキにキャンドルを立て、火を灯す。ご丁寧に部屋の明かりは消す。 「ハッピバー……」  歌いかける和樹の声がふいに途絶えた。涼矢に手を握られて驚いたのだ。 「暗くなったら、あのときのプラネタリウム思い出した」 「随分とまた、懐かしいことを」そう言いながら和樹もその手を払いもしない。「なんか半端になっちゃったけど、歌いなおすか?」 「いや、いいよ。その代わり」  涼矢は握った手を引き寄せ、和樹にキスをする。 「これでいいの?」 「最高」 「はい、じゃ誕生日おめでとさん」 「ありがとさん」  涼矢がキャンドルの火を吹き消した。  部屋の明かりが再びつくと、涼矢は改めて和樹を見つめた。 「そんなに見たら穴が開くだろ」  和樹の照れ隠し混じりの軽口に、涼矢はわざと顔を近づけ、至近距離で凝視した。  愛しい織姫にキスしたくなったら彦星はどうするんだろう。光の速さで走ったって、織姫の唇にたどりつくのに15年。  でも、今の俺たちの距離は、ほんの数センチ。――キスするのに、一秒もかからない。  涼矢はそう思い、それを確かめたのだった。 (終) --------------------------------- #本編「その恋の向こう側」→https://fujossy.jp/books/1557 7/7は涼矢の誕生日。

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