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第24話 Raindrop - Side Strawberry Jam - (for Cieli様)

*SSクイズ正解者景品作品 リクエスト「『Raindrop』の雨の日の話」 *元SS→https://fujossy.jp/books/4693/stories/82562 ----------------------------------------  雨の日のバス停は、そうでない日よりも、混んでいる。前から5人目まではバス停の屋根の下で待っていられるけれど、そこから先は傘を差さないといけない。屋根が必要ない晴れの日は待ち人全員が悠々屋根の下にいられるのに、雨の日は必ず何人かはみ出ることになる。  今日のぼくは6人目で、ギリギリではみ出し組になった。でも、アンラッキーだなんて思わない。だってほら、遠目に見える、彼の姿。 「おはよう」7人目のバス待ち人となった彼は、明るい声でぼくに言う。 「おはよう」間違いなくラッキーだよ。だって、自転車通学の彼とは雨の日しか一緒に乗れないバス。バスの中で顔を合わせれば、彼は必ずぼくの隣に座ってくれるのだけれど、ぼくの隣が必ずしも空いているとは限らないし、しかも、こんな風に、乗る前から一緒に並んで待っていられることなんて、滅多にないんだ。彼はいつも、ギリギリにバス停に来るから。「今日は、少し、早い?」 「えっ?」 「いつも、バス、発車ギリギリに来るから」 「あれ、そうだっけ」彼は黒目をくるんと上に向けて、何かを思い出す様子だ。「うん、確かに。バスに乗る時は、いつも走ってるな、俺」 「そうだよ」ぼくは笑う。 「今日はずーっと大雨だったから、かな。いつもはギリギリまで、もしかしたらやむかもしれないって待つんだけど、今日は絶対バスだって分かってたから」 「自転車に乗れるなら、そのほうがいいんだ?」 「うん。だって、そのほうが速いし、金かかんないし」  バスは病院やら大きな公園やらを回って高校前に向かう迂回ルートを走るから、最短ルートで行ける自転車のほうが時間はかからないんだ。 「バス代、親からもらえないの?」 「言えばもらえるけど、いつも言うの忘れる」 「そっか」ぼくはまた笑ってしまう。大らかな彼らしい。  バスが来た。ぼくはバスの定期券でもあるICカードをピッとタッチして、乗り込んだ。彼は珍しくもたもたしている。制服のあちこちを探り、その後はカバンの内ポケットなんかも探している様子だった。「やべ、カード忘れたかも」そう言った時、後ろの人が咳払いしたから、慌てて、現金で払う人用の整理券を引き抜いた彼。ぼくたちの乗るバスは後払いだ。 「どうしよ」ぼくの隣に座った彼は、いかにも困った表情でため息をついた。「カードは財布に入れてるから、金もないってことだ」それからぼくをちらりと見て「あの、さぁ」と切りだした。 「うん、いいよ、貸すよ」ぼくは財布を出して、高校前までの運賃に足りるだけの小銭を彼に渡そうとした。「あ、昼は? 弁当?」 「……やっべえ。それもだ。今日、購買のパン買うつもりだった」 「分かった」ぼくは小銭を戻して、千円札を出した。「じゃあ、それも込みで」 「マジで? 助かる。でも大金だぞ、千円。おまえ、大丈夫なのかよ」 「細かい金額だと分かんなくなるから、千円のほうが切りが良くていいよ。ぼくは今日弁当だし、ほかに金使う予定ないし」 「ありがと、本当、おまえがいてくれてよかった」  彼のその言葉は、お金を貸したことに対しての言葉だって分かってたけど、なんだか、嬉しくて泣きそうになった。おまえがいてくれてよかった。おまえがいてくれてよかった。その声を忘れてしまわないように、何度も頭の中で繰り返した。  昼休み、彼が購買に行っている間に、ぼくはそっと教室を抜け出して、屋上に出る手前の階段の踊り場に座った。屋上は鍵がかかっていて出られないから、めったに人は来ないところ。  本当はぼく、今日は弁当を持ってきていないんだ。そして、あの千円札が今日の有り金のほとんどすべて。最初に渡そうとして戻した小銭でパン1個と牛乳ぐらいは買えるけど、購買に行って彼と鉢合わせたりでもしたら、嘘がバレてしまうから。そしたら彼は、きっとあのお金を返してくれて、何度もぼくに謝るだろう。彼ってそういう奴だから。だから、いいんだ。一食ぐらい抜いたって、大した問題じゃない。帰宅部のぼくは、彼みたいに運動部でエネルギー消費するわけじゃないし。昼休みの間、ここでじっとしていればいいだけ。  でも、そんな風に部活命の彼は、実は少し前に怪我をしたみたいで。それも、今までも何度か痛めてる肩。手術するとかしないとか言って、その先は語らなかったけれど、このタイミングの手術レベルの怪我というのは、つまり、ずっと目指していた最後の夏を諦めなきゃならないってことは、ぼくにも分かって。珍しく気弱な表情を見せた彼に、ぼくはただ、大丈夫だよって。いつもがんばっててすごいよって。ぼくは部活を続けても、続けなくても、ずっと応援するって、そんなことを言うだけしかできなかった。ぼくなんかに応援されたって、しょうがないのにね。でも、彼は、そう言うとちょっとだけ元気になってくれて、ぼくは嬉しかったんだ。  だから、『おまえがいてくれてよかった』っていう、あの言葉は、本当に、宝物で。  あの言葉が聞けたから、空腹なんてどうでもいいんだ。  そう思い込もうとしているのに、グウ、とお腹が鳴ってしまった。誰もいないけど、なんだか恥ずかしい。 「こんなとこにいた」誰もいないはずなのに、背後から声がした。 「え」振りかえると、声の主は彼だった。 「おまえ、弁当は?」 「た、食べたよ。もう、食べ終わった」 「じゃあ、空の弁当箱はどこ?」 「……。」ぼくはうつむいた。 「教室戻ったら、おまえいないからさ、そんなこったろうと思ったよ」彼はぼくの隣に座った。「ほら」差し出されたのは、マーガリンと苺ジャムがたっぷりはさまったコッペパン。 「え」 「焼きそばパンもあるけど、そっちのほうがいいか? でも、おまえ、弁当じゃない時、よくこの苺のやつ、食ってるだろ。好きなのかと思って」彼は焼きそばパンも出して見せた。「俺は苺のやつ食ったことないから、今日チャレンジしてみようと思って、買ったんだ。けど、甘いの苦手だから、やっぱ食えなかったらおまえにやればいいやって思ってさ。それなのに、おまえ、いないし」 「……ぼくがこれ好きだって、知ってたんだ」ぼくはコッペパンのほうを受け取った。 「ああ、うん」  彼がぼくのことを見てくれてた。苺のコッペパンをよく食べてるって知ってた。そのことで胸がいっぱいになる。ぼくはコッペパンの包装を開けて、半分ぐらい出すと、パンを手でちぎった。「食べてみて。マーガリンも入ってるから、甘いけど、甘いだけじゃないよ」  彼は無言でそれを受け取り、大きな口でがぶりと食べた。「本当だ。結構うまいや」 「ぜんぶ食べる?」ぼくは残りを彼に示した。 「ううん、いい。じゃあ、こっちも」彼はやきそばパンを半分にして、ぼくにくれた。「この2種類なら、苺ジャムのコッペパンのほうがデザートっぽいよな。俺、先に焼きそばパンを食べてからこっちの残りを食おう。」わざわざそんな宣言をして、彼は食べかけのコッペパンを左手に残したまま、焼きそばパンにかぶりついた。 「ぼくは、交互に食べる。甘いのと、しょっぱいのと、交互に食べると、美味しくない?」 「なるほどなあ。次の時は俺もそうする。」  次の時か。そう言われると次の約束をしたみたいで、嬉しくなる。そんなこと、彼は全然意識していないに違いないのに。ああ、本当にまた、こんな風に、2人で階段に腰掛けて、パンを食べて、おしゃべりできる日が来たらいいのに。でもそんな日が来るとも思えないから、今の、この時間を大事にしなくちゃ。ぼくは心の中でそんなことを考えながら、パンを食べた。隣の彼が気になり過ぎて、味なんかしなくて、自分が今食べているのが焼きそばなのか、苺ジャムなのかも分からない。  そのうち、味の分からないパンのせいか、緊張のせいか、口の中が乾いてきた。水分が欲しいと思った、その瞬間に、彼が「あ、そうだ」と紙パックのコーヒー牛乳を購買の袋から出してきた。ペットボトルならまだ回し飲みのしようもあるけれど、紙パックは2人で飲むのは厳しい気がして、ぼくは後で給水機の水でも飲んで我慢しようと思った時、彼は菱形に開いた紙パックの口をぼくに向けた。「ほら」 「え、いいよ」 「いいから。口の中、パサパサだろ?」彼は笑った。  ぼくはおずおずとそれを口にした。ほんの一口すすりあげるようにして飲んで、すぐに口を離した。「ありがと、もういい」  彼のほうは躊躇せず、パックを斜めに傾けて、流し込むようにしてごくごくと飲んだ。ぼくがさっき口をつけたパックを口をしている彼を見ていると、なんだか彼とキスでもしてる気がして、恥ずかしくなった。 「間接キスだ」と聞こえた時、ぼくは自分がうっかり思ったことを口に出してしまったのかと慌てた。でも、違った。それは彼の声だった。 「た、足りる?」ぼくは聞こえないふりをして、そんなことを言った。 「何が」 「パンも、飲み物も。いつもはもっと、たくさん食べてる。パン3つに、おにぎりとか」 「おまえも俺のこと、よく見てるな?」 「……」 「これじゃ確かに、足りないや」 「だよね。じゃ、じゃあ、今から購買行く? 急いで行かないと売り切れちゃうから、買うならすぐ……」ぼくが立ち上がろうと腰を浮かすと、彼はぼくの手首をつかんでひっぱり、元の位置に座らせた。 「違うよ」 「ち、違うって、何が」 「足りないもの」 「え」  彼の手が伸びてきて、ぼくの後頭部に触れた。そしてぼくは、そのまま彼のほうに抱き寄せられて。  ぼくのファーストキスは、苺ジャムとマーガリンの、甘くてしょっぱい、そんな味がした。

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