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その条件は至ってシンプルだった。
俺の首にある傷跡を隠すこと。それだけ。
地理がわからないだろうと地図をもらい、部屋に案内する、と百目鬼さんが立ち上がる。
「ここに住んでいる者のほとんどが人間との共存を望んだ者たちだ。もし仮に、人間を襲う事があれば始末する。それも覚えておくといい」
百目鬼さんの低い声が言い聞かせるように、そう言葉を紡いで、俺は小さくわかった、と答えるしかなかった。
「あぁ、それと、何かあればそこの仏頂面に聞けばいい。普段はふらふらとしているからすぐに捕まるだろう」
「―――暇人のように言うのはやめてくれないかな」
はぁとため息を吐きながら男が腕を組み、俺の前――厳密には斜め前にたった。白いファーのついた黒いジャケットを着流しの上に着ている。そしてフードをかぶると、「早く立ちなさい。人の子」と言いのける。
フードをかぶるその動作のうちにまた髪が赤色に変わり、思わず見とれてしまった。こんなにきれいな赤が、この世にあったのかと。
「……百目鬼、この人の子を送るついでに墓参りをしてくるから、私の話は明日でいい」
呆けている俺をよそにそんな会話をして、男は早くしなさいと歩き出す。俺は慌てて荷物を持ち、百目鬼に一礼をして男の後を追った。
「あの」
「なにかな。人の子」
「名前、聞いてもいいっすか?」
コツコツと歩く音だけが響く渡り廊下で、男がふと足を止めて振り返った。
「―――お前は、随分と歪な体をしているようだけれど、それは〝誰の体〟かな?」
俺の質問に答えることなく、男が言葉を投げかける。
この体が誰のものなのか、それは俺にもわからない。兄貴だけが知っている事だし、俺が本当に桜庭優呉なのか、それを知るために今持っている記憶を頼りに探している。
だから、本が必要で。
だけど、この人はどうしてそれを知っているんだろうか。俺が知らないことを、兄貴と同様にこの人は知っているのだろうか。
「………私の名前を知っても、知りたいことはわからないと思うよ。人の子」
単純に、これは拒否だなとそう思った。
「墓参り、って」
「………知りたがりな子供のようだ。墓参りは―――山だよ。今のお前は、もう覚えていないだろう」
少しだけかなしそうに笑い、男が一つの扉の前で立ち止まる。
「ここがお前の部屋だ」
「あ、りがとう、ございます」
「今日はもう休むといい」
ポン、と頭をなで、男は去っていった。
覚えていない?俺が、いったい何を忘れているって言うんだ。今の俺は?俺は、この体は、記憶は確かに「俺」のはずなのに、妙なずれを感じてしまう。けれど、あの赤い髪には見覚えがない。
「頭、痛いな」
もう寝てしまおうと、扉を開け部屋に入り、リビングまで歩いてから、ぱたりと意識を失った。
◇◆◇
いつも、夢を見る。
鋭い痛みを伴って、視界が真っ赤に染まる感覚。息が出来なくてヒューヒューと音だけが響く。暗い闇に自分が伸ばした血まみれの手が見えた。
『……いた、い』
声なのか、わからないその音が誰かに届くはずもない。寒くて痛い。それなのに、なぜ自分はまだ生きているのだろう。どうして、生きなければ、いけないのか。
『―――あぁ、可愛そうな子。助けてあげよう』
やわらかい声が、あたたかな手が触れる。霞んだ視界で、俺は小さく消え入りそうな声音で言葉を紡いだ。
「た す け て」
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