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 パッと目を開けて、最初に見えたのは自分の荷物だった。あとは放り出された手。床で寝てしまったのか、体の節々がとても痛む。ギシギシと悲鳴を上げる体を起こし、あおむけに寝転がって、指先と足が動くかをまず確認した。 「……動く」 ぽつりとつぶやいて、起き上がり床に転がったキャリーバッグを開く。 「はぁ…」  内側のポケットに、小さな小瓶が入っている。そこには白い錠剤が入っていた。俺がいつも起きるたびに飲んでいるその錠剤は、ひと月分。だから、一ヶ月に一度は兄貴のところへ検診もかねて帰ることは決まっていた。この薬を飲まないと、俺の体は保てないから、と兄貴にきつく言われてから、毎日のように起きるたびに飲んでいる。  この薬を飲み続けなくちゃいけない理由も、俺は知らない。知らなくていいと言われてしまうから。俺が知りたいことも、兄貴は何一つ教えてくれない。 「……はぁ」 ため息を吐きながら錠剤を一粒、口に放り入れた。飲み込んでから、窓に目を向ける。レースのカーテンから見える向こう側は、もうわずかに暗い。何時なのだろうと、時計を確認するためにバックの中に入れていたボロボロの腕時計を取り出した。 「六時、か」 夕方、六時。ということはこの床で少なくとも二時間ほどは寝ていたはずだ。どおりで体が震えている。とりあえず荷物の整理をしようとキャリーバックを閉じ、リビングから廊下に出た。一人で住むには少しばかり広い。少しふらつく体で部屋を確認しながら回った。寝室、客間、リビングに、本棚だけの部屋。本は一冊も入っていないその様があまりにもさみしくて、すぐに扉を閉めた。 寝室に入り、カバンから一冊の手帳を取り出してベッドに横になる。布団も、最低限の家具もすべて備わっているのは正直助かった。家賃がタダなのも、助かる。入ってくるときにつけた電気の明るさがまぶしくて少しだけ目を細めた。  逢魔が時、なんて、うまくいったものだと思う。今の鬼や、妖怪と言った類はまるで人の様に暮らしている。人間の社会に溶け込んで、それを隠しながら生きている。俺も兄貴もそんなものだ。  兄貴は人じゃない。確かに、人の形をした紛れもない化け物だ。だけど、俺もそう変わらない。人の皮をかぶって、理性で本能を押し殺している獣と変わらない。 そういえば。 ふとベッドに横になっていた体を起こし、手帳を開く。これは、俺が唯一兄貴に隠して持っているものだ。これは一冊ではなく、十冊ほどある。要するに、十年分の、記憶。俺が知らない俺が残っている証。実はずっと、ちゃんと開いたことがなかった。 おそらく、俺はいつも定期的に体が〝ダメ〟になるのだろう。その度にこの手帳を見つけ、最初のページを開いては、閉 じる。それを繰り返している。  実際の話、俺には一年前からの記憶しかない。わかるのは、人の顔と、名前だけ。自分が「何をしていたのか」を全く覚えていない。  この手帳には、その総てが記されている。最初の一ページ、そこには『親愛なる、俺であり俺ではない自分へ。お前は何番目?』と、血の滲む黒のインクで書いてあった。 ――怖くて、それ以上開けない。  けれど、俺はいまそれを知るためにここに来た。俺が誰なのか、なぜ、生きているのか。それを知るために。 「俺であり、俺ではない自分、か」  俺は桜庭優呉であり、桜庭湊が義理の兄であり親でもある。それが自分なんだと、この最初のページを見ていつも思う。湊に見せてはいけないと、端の方に書いてあった。その言葉が、ずっと胸にくすぶっている。 「少し、散歩でもするか」

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