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「起きたか」  パッと目を覚ますと、すぐそばに相変わらずフードをかぶった牡丹さんがいた。厳密には、俺が横になっているベッドに腰かけている。 「………おれ、いちにちににかいぶったおれたんすけど…」 余り回っていない呂律で言葉を連ねながらよいしょと起き上がると、俺の部屋だった。牡丹さんの手には例の手帳が握られている。 「それ、よんだんすか?」 「……あぁ、少しだけ」  困ったように笑う、その顔に俺は少しだけ視線をそらし、薬の便を探した。おかしいな。すぐ近くにあったはずなのに。見当たらない。ときょろきょろしていれば、牡丹さんが「これかな?」と小さな瓶を見せてくる。 「それ」 「――――これは、飲まない方がいい」  静かに、牡丹さんの声が部屋に響いた。 「は?」 「お前のその体、再生を促す力はもう戻っているのに、これがそれを邪魔しているんだよ。この薬は、お前が定期的に〝壊れる〟ように計算されている」  もう一度、は?と声を漏らした。意味が分からないと首を傾げれば、牡丹さんがチャリ、と瓶をわずかに揺らす。 「もう一度、わかりやすく言ってあげよう。人の子。この薬は、お前を壊すように調剤されている、と言ったんだよ」 「はぁ?兄貴がそんな事するわけ……」  ない、とも言いきれないなとふと口を閉じた。兄貴は、おそらく何かを俺に隠している。そしてその「何か」を口にすることはないだろう。 俺はきっと、兄貴の材料でもあるはずだから。 「………お前は、死にたい?」 「死にたくない。痛いのは嫌だし、つらいのも嫌だ。そんな事普通だろ。死にたいなんて、思ったりしない」 まっすぐきれいな金の目を見つめる。 「……そうか」 「…?」  首を傾げれば、薬の瓶を渡された。俺はそれを受け取り、わきに置いてあるテーブルに置いて、牡丹さんに向き直る。 「その手帳、十年分あるんすけど、どこまで見ました?」 「あぁ、そんなに見ていないよ」  十年前の手帳が、一番煤けているのは当たり前だけれどそれよりもページに血がべっとりとついている。どの手帳も血だらけだけど、十年前のだけはひどく鉄臭かった。 「読むかい?人の子」 「……………あんた、ここにいてくれんの?」 「一人で読めないのか?」 「いや、だって、この最初のページみただろ?俺さすがに一人は無理かなって、思うじゃん」 「はは、そうか。仕方ないね。なら付き合ってあげよう。気が済むまで読めばいいよ」  おかしそうにくすくす笑う牡丹さんに、しばらく見惚れてしまった。  『親愛なる、俺であり俺ではない自分へ。お前は何番目?』 血の滲む真っ赤な最初の一ページ。黒のインクで書かれたその文字は、涙で滲んでいるようにも見えた。表記された年号は十年前の、四月。 「………桜庭邸の、地下」 ぽつりと、言葉が漏れる。桜庭邸の地下、と言うのはあのよくわからない設備の話なのだろうか。俺の記憶が始まる場所。俺の記憶は、あの透明な管と、息苦しさ。鉄臭い香りと、綺麗な金糸。 「これ、まるで日記だな」 「紛れもなく。これは日記だよ」  日記の様につづられていく言葉。一ページに三日分とか、日付が飛んでいたりするけれど。ほとんどのページに血が付いている。 「――…これ」 ちょうど手帳の真ん中に、空白のページがあった。そこには文字の代わりに花がはさんである。正確には、花の写真が。赤い花。これは、確か 「アネモネだよ。その花は」 「アネモネ…?」 「―――…お前が調べたんだよ。人の子。死を悼み、その花を墓に添えるために」  写真を手に取り、裏側を見ると、裏側にも血の跡があった。隅の方にはうっすらと読める文字で牡丹一華と書いてある。首を傾げながら傍らに座る牡丹さんに視線を向けると、それは、と口を開いた。 「和名をぼたんいちげというんだよ。その花を添え、その帰り道にお前は鬼に襲われた」  墓に、添えるために。墓?それは、いったい誰の墓だろう。思い出せない。思い出せないけれど、どうしようもなく悲しかった。写真の裏の血も、手帳の血も、これはきっと俺自身の血なのだろうとそう思った。 そして、牡丹さんは俺を知っているし、俺も牡丹さんを知っている。それなのに、この花の意味も、牡丹さんがかなしそうに笑う理由もまるで思い出せなかった。空白で、空っぽだ。今の俺には、何もない。 「少なくとも、この記憶は、俺には、ない」

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