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 夢は、見なかった。  目が覚めた時、もう牡丹さんの姿はなく、窓から差し込む光は明るかった。サイドテーブルに置かれた薬の瓶に手を出しかけ、ふと、手を止める。 「……飲まない、方がいい、か」 自分に言い聞かせるようにつぶやいて、その横に置いてあった腕時計で時間を確認する。 「六時……」  ベッドの傍らに置いてあるサイドテーブルには、薬の瓶と、ボロボロの腕時計。そして、十冊の手帳が置いてあった。その上に、写真が二枚。アネモネの写真と、くしゃくしゃになった自分の写真だ。一番上に置いてあった十年前の手帳を手に取り、また最後のページを見る。やっぱり、そこには助けての文字があった。  何度見ても、紛れもない自分の字。 「これを書いたとき、俺は何をしてた?なんでこんなに血だらけなんだ」  この手帳には、兄貴に見せてほしくない、ばれたらいけないことが書いてあるのだろう。もう一度、十年前の、あの花の写真が挟まっていたページを開いた。その真っ白なページをめくり、次のページを見る。そこには、十一月七日と日付が記してあった。  『十一月七日 晴れ  今日は、首鳥塚の奥にある社に行く』 紛れもない俺の字で、そう記してある。 「くびとりづか…………?」  聞いたことがあるような、ないような。床に置きっぱなしになっていたキャリーバッグから地図を取り出し、ベッドの上に広げる。結構大きな範囲で地形が書いてあり、俺はとりあえず地図の山の部分をじっと見た。塚だと言うのなら、おそらくは山の方にあるのだろう。  「あった……」  地図の端の方に、首鳥塚と書かれている場所がある。ここからだとそう遠くはないだろう。この街もどちらと言えば山の方が近い。俺は昨日と同じパーカーの上にキャリーバッグに入れていたボディバックを身に着け、少し厚手のマフラーを首に巻いた。バッグの中に手帳とボロボロの腕時計をつめて、部屋を出る。少し寒かったけれど、それ以上に今は手帳に書いてあった場所に行きたかった。  山に行くには昨日のビル群を抜けて、人通りの少ない裏道を抜けなくてはいけない。人通りの多い朝のビル群を抜けると、すぐに静寂が訪れた。元々人の少ない街だ。駅の近くはオフィスビルも多く建ち並んで賑わいを見せているが、その実、裏側は空っぽになったかのように人がいなくなる。  まるで別世界の様に閑散とした裏道を抜け、錆色のついたアスファルトの道を歩く。広い車道なのに、車は一切通らない。表のオフィス街と比べると、雲泥の差でこの辺りは民家しかない。時折歩道を覆うように咲いている桜が通り抜ける風に揺れていた。 知らない道じゃなかった。実際、地図なんていらないほど目的地が分かる。暫く歩道を歩き、左手に見えてきた細道で足を止める。けもの道の様に上へと続くその道は、覚えていた。  だけど、この先にあるものはまだ思い出せない。  手帳に書いてあった『首鳥塚の奥の社』 その場所を、俺はまだおぼろげにしか思い出せない。 「………は」  獣道を上へ上へと登っていく。一歩一歩進んでいく度に、上から光が落ちてくる。さほど高くないはずなのに随分長い間この道を歩いている気がする。木々の若葉の隙間からもれてくる光が俺を照らすたびに、自分はいまから天に召されるんじゃないかと錯覚する。  少しだけ、怖いと思った。  途中から階段になった道を上り、すぐに開けた場所に出た。一面の花畑。白や、ピンク。薄紫の花が一面に咲いている。 「…………これ」 なんの花だろう。どうしてこんな一面に、花が咲いているのか。振り向けば、さっきまで登っていた道は確かに存在しているのに、目の前に広がるこの花畑だけが別の世界のようで、思わず目をこすった。  この花畑の向こうに、社があるのだろうか。手帳に書いてったのは、首鳥塚の奥と書いてあった。だからきっと、この奥に社がある。 「……あるのか…?」  先までずっと広がる花畑に、少し不安を覚えた。

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