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 突き出した拳を振り上げて、牡丹さんの胸をたたく。ドン、と音がして、俺は小さく「なんで」とこぼした。 「……なんで、諦めてるんだよ。今、俺が、」 「よく泣く子だ」 胸に押し付けた俺の拳を、牡丹さんの手が優しく包んだ。その顔を見上げればやっぱりかなしそうだ。そんな顔を、させたくないのに。 「困ったね」 「…っ」 「私は、お前には勝てないんだよ。優呉」 「ぼ、たん」  名前を呼んで、困ったように笑う。かなしそうじゃなく、困ったように。それだけで、ぎりぎりに保っていた線がぶつりと切れ、ぼたぼたと涙があふれた。 「ぼたん」 「なにかな、優呉」 「っ、お、俺、」 もう一つ、思い出したことがある。ボロボロの腕時計。あれは、俺が牡丹にあげたもの。指輪をもらったお返しに、俺が、渡した、大切な。  俺が横になっていた布団の横に置かれていたボディバックの中から腕時計を取り出して、空いた方の手でそれを牡丹に渡す。 「これは、あんたに、俺が……、」 「あぁ、懐かしいね」  時計を持たない牡丹に、俺があげたものだ。すべてを感覚で生きている牡丹には、本当は時計なんて必要ない。それでも、これを見て、俺を思い出してほしいと、差し出した、物。 「唯一、紅以外に愛せたと、思ったんだけど、ね。私は、お前を捨ててしまったから、それも化け物に預けるときに一緒に託したんだよ。あの化け物はすぐに捨ててしまうと思ったけれど………存外、感情が捨てきれなかったようだ」  牡丹の掌に、歪な音を立てながら腕時計が落ちる。 「捨てたなら、もう一度拾えよ」 「―――…はは、本当に、お前は愚かだ」 牡丹の手が俺の拳から離れ、やわやわと頭を撫でる。その暖かい手の感触に、涙腺が決壊したように次から次へと涙があふれた。 「………泣き虫だね」 「違う、なんか、わかんねぇけど!勝手に出てくんの!」 俺は赤い指輪をカバンの内ポケットにしまい、中から手帳を取り出した。今日見たページをめくり、「ほら」とその文字を見せる。 「十一月七日、晴れ、今日は、首鳥塚の奥にある社に行く……、か。なるほど、そうか」  牡丹はもう一度そうかと呟くと、俺の体を引き寄せた。 「わ、なに、」 「この日、お前は来なかったよ」 「え」  耳元で、牡丹の声がぴたりとやみ、俺は次の言葉を待った。けれど、牡丹は俺を押し離し、もう一度消え入りそうなか細い声で「来なかったんだ」と呟いた。 「その日は、私の誕生日だよ」 「た、…たんじょうび…?」 「――――そう。お前が、私に初めて会った日だからと。私には誕生日が分からないからね。お前が言ったんだ」 「……あんた、待ってたのか」  来るのか来ないのかわからない俺を、ずっと、待っていたのか。 「お前が来ない事は、知っていたよ」 十年前、この時にはもう記憶はなかっただろう。牡丹はそういうけれど、それでも、ここに書いてある文字は、紛れもなく俺の字だ。 「……ここに来るのは、やめなさいと何度か忠告したけれどね」 「さっき」 指輪を持っていたらこの結界には入れる。牡丹はさっき、そう言っていた。この人は、矛盾だらけだ。俺は小さく息を吐いて、牡丹を見据える。 「さっき、あんたが言ったんだろ。指輪を持っていたら、入れるって。今更、なんで、諦めたなら、なんで渡したんだ」 「来て欲しかったから」 「!」 「……もう、これが最後だと決めていたからね。こなければこの地を離れようと思っていた」 参ったね。そう、肩を竦めて笑う牡丹に、俺は、なんだよ、と言葉を吐き捨てた。 「なんなんだよ!最後とか、来て欲しかったとかっ!あんた、なんで…っ」 「………疲れたんだ。長い時を過ごし、仲間もたくさん失った。お前を手放した時、最初から十年だけ待つと決めていた。私は生まれ落ちたその時から今まで、ずっと鬼だ。人の気持ちはよくわからない」 だから、と牡丹は囁いた。 「だから、お前がなぜ泣くのか、怒るのか、わからない」

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