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花言葉が好きだった。 小さな街の図書館で、記憶を戻す方法を探しながら、花言葉の本も読んでいた。それは、俺の部屋にあった、小さな小さなメモが与えた手掛かりでもあった。俺は多分、元々何かを学ぶのが好きで、新しく知識を入れることが苦じゃ無かった。 何より、兄貴も花が好きだから。  手帳は全部、十一月七日だけ、文や写真があった。それだけ。たったそれだけだったけど。 「近衛さんは…アネモネが好きだって、言ってた」 「…………優呉」 「そうか、墓参り、か……俺」 最低だ。 忘れてしまう事は、罪じゃないけど、それでも自分が酷いやつだと思えて仕方がない。あの写真は、牡丹が言った墓参りは。 「十一年、前…」 とまっていた筈の涙がまた溢れてきて、ああ嫌だなと、口には出さずともそう思った。 「優呉」 牡丹が俺の顔を覗き込み、また親指の腹で涙を拭う。 「…お前は感情が豊かだ。私が忘れてしまった感情も、無かったものも、お前が与えてくれた。お前が私を忘れても、私はお前にもらったものを忘れたりはしないさ」 牡丹はそう言うけれど。もう、ずっと、そりゃあ牡丹にしてみれば短い時間かもしれない、この十年を、十一年をどんな思いで過ごしたのか、それが頭をよぎる。俺は、最低だ。 「―――だから、帰れと言っただろう?忘れてしまえば楽に生きられる。辛いことも忘れられる。お前がそれほど泣くのは、見たくない」 「っ、あんたは、……辛くないのかよ!」 「つらい…?」 「だって、近衛さんも、智草さんもいなくなって、俺が忘れて、息子だって起きる気配がなくて、辛くないのか」 尻すぼみになって消えた声に、牡丹がは、と息を吐いた。涙を拭った親指の腹で、唇を撫でる。こつりと額を合わせ、牡丹の髪が赤く変わった。 「……お前が私を覚えていないのは、胸が痛い。……でもね、優呉。あの人の子と智草は望みを叶えたんだ」 「でも…っ」 言いかけた俺の言葉を飲み込むように、牡丹の指が唇を制して、視界で赤い髪が揺れる。 「二人の願いを、望みを、否定してはいけない。優呉、………私はお前をあの化け物に託す時、記憶を消して欲しいと頼んだ。お前は酷く憔悴していたし、私の話も聞けない状態だったんだよ。我が子に喰われても、ただお前が生きてくれたなら私はそれでよかった。会えずとも、それでよかったはずだったんだよ」 牡丹の言葉が途切れ、影がかかる。ピリ、とした痛みが唇にはしり、舐められたんだと気付いた時には牡丹の唇が触れた。 「……見守るだけで、我慢がきかなかった」 「―――――――…牡丹」 小さく名前を呼べば、また唇が塞がれる。視線が絡まって、離せなくなってしまう。牡丹の金色は、綺麗だと言うより、魅入ってしまう。溶けそうな、溶けてしまいたいと思えるほどの光彩。 「優呉。思い出したいかい?全て、…喰われた瞬間すら」 「え?」 「あの化け物と、約束したんだよ。もし、お前がそれを選ぶなら、そうして欲しいと」 「兄貴、が」 「……ただ、………………俗世を、捨てなければいけない」 吐息が触れ合うほど近い、その距離で牡丹の声が揺れる。真っ直ぐ見つめてくる視線は揺れないのに、迷っているような、そんな声。 「兄貴は、だから教えてくれなかったのか?」 「…そう言う、契約だったんだ。お前を託す時、私はお前を捨てたと言ったろう」 うん、と頷くと牡丹が鼻頭をすり寄せながら目を伏せた。長い睫毛がふるりと揺れながら、言葉を紡ぐ。 「お前に刻んだ印ごと、私は捨ててしまった」 「…し、るし」 「私が我慢できれば、お前が苦しむ事はない。お前は忘れた方が楽だろう?さっきも言ったが、思い出さなくていいこともある」 「言ってる事がおかしい、だろ。俺は、あんたを忘れたくない。それに、誰の事も忘れたくない…っ!」 「かえせなく、なるよ?」 「…………記憶をなくしても、俺は絶対牡丹を探すし、無いことが『良い』なんて思えない。今、俺は思い出し始めてる。それをまた消すなんて、嫌だ」

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