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また、このかなしい人をひとりにしたくない。 何度消えたって、この手帳のように、何かのきっかけで思い出してしまうだろう。そんなのは嫌だ。 自分で知るのは良いことだと兄貴は言った。兄貴なら、俺が牡丹に会えばどうなるか、何が起きるのか分かっていたはずだ。全部、分かっていて俺を止めなかった。 自分のやりたいように、だけどきっと俺が諦めて戻れば、それも受け入れる。兄貴はそんな人だ。 俺が選んだ選択肢の結末を、否定するような事はしない。 「……牡丹はまだ、俺が好き?」 「あぁ」 伏せた目を開きながら、牡丹が僅かに離れる。淡い光、少し戸惑いがちに手の甲で頬を撫でてくる牡丹に、少し笑ってしまう。 「俺は、思い出したいよ。全部。それが辛くても、俺は思い出したい。だから、牡丹の気持ちが知りたい。あんたは、俺をどうしたいんだ」 「――――私は、お前にしわあせになって欲しいよ。それと同じくらい、幸せにしたいともおもっている」  幸せに。  どうか、幸せに。  その言葉は、聞き覚えがあった。  俺の中に残る記憶は牡丹がカギにでもなっていたかのように次々と溢れ出してくる。頭が痛くて、少しだけ視界が歪んだ。 「――――優呉」  牡丹の優しい声が耳に届いて、視界にちらついた手を握った。暖かい手。 「牡丹は、もう会えなくてもいいのか」 「………いや、もうこうして触れてしまったら、なくしたくないと願ってしまうね」  困ったものだと牡丹が笑い、手を握り返した。ぎゅっと少し強めに握られて、俺は小さく「うん」と返事をした。 俺も、俺だって、こうして徐々に思い出してしまっている今を失くしたくない。十冊の手帳は、全部牡丹の誕生日だけ他と違った。俺は毎回牡丹を求めて、でも会うことが出来なくて疲弊していったんだろう。その気持ちは、痛いほど理解できる。思い出しても会えないなら、どれだけ探しても会うことが叶わないなら、消してほしいと願うはずだ。 「俺に、もう一度牡丹を頂戴」  今度はきっと、離したりしないから。    ◇  左手首の内側に、牡丹が唇を寄せる。痛みはないけど、そこに熱が集まって体がふるりと震えた。銀色の髪がわずかに光って、その間から生えている鈍色の二本の角が視界で揺れる。  印、と言うのは牡丹が話した通り「魂を縛るもの」であり、共に生きる証でもある。  どちらかの生を共有できる。鬼と共に長く生きるか、人と共に生涯を終えるか。それを、選ぶことが出来る。 「優呉」 「っ、舐め、」  印を刻んだ手首をべろりと舐め、牡丹が顔を上げる。  印は基本刻んだ相手と二人しか見えない。だからこれは牡丹との秘密のようで、俺は刻まれた印を見て嬉しくなってしまった。 「お前は、本当に」  はぁ、と牡丹がため息を吐き、視線が絡む。牡丹、と名前を呼ぶ前に唇を塞がれて、布団に倒れこむ。そのまま入り込んできた舌に口腔内を蹂躙されてうまく息ができない。  淫靡な音が鼓膜に直接届いて、たまらず目をぎゅっとつむった。 「…優呉」  唇が触れ合う距離で名前を呼ばれて、薄く目を開くと、牡丹は破顔して笑った。もうそれが、胸が痛くて、ぎゅうっと締め付けられるように痛くて、思わず牡丹にしがみついた。  よかった、笑ってくれた。  それは、かなしそうでもなく、困ったような顔でもなく、とても、嬉しそうに、昔みたいに。ずっとずっと、昔みたいに。

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