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33◎

「……傷付けたくねえって思ってんだよ」 ボソリと独り言のように漏らす。佳威の視線は畳の上に置かれたままの一つの荷物へと動いた。 だが恐らく見ているようで見ていない。頭の中では違う光景が広がっているのだろう。 「あいつがΩだから気になるとか囚われてるとか、そういうのは正直俺もよく分かんねえよ。でも傷付いた顔は見たくねえし、させたくねえ」 「…傷付けたくない相手というわけか。ならもう少し周りの感情を読み取った方がいいな、佳威は」 「…どういう意味だ?」 「そのままの意味さ」 「あぁ…?」 あの見た目でなんと健気な事を言うのか。瑠威は鼻の奥にツーンとした刺激を感じて目頭を押さえた。不審な顔でこちらを見る弟に、瑠威が思うこともただ一つ。 愛する弟が傷付きませんように。 運命の番でもない限り、必ずしも出会ったαとΩが繋がれるという保証はない。 そして運命なんてものは奇跡であり都市伝説である。彼らの実母の件が無ければ信じてさえいなかったもの。 だからこそ、できることは全てやってやろうと心に決めていた。あの学校を勧めたのも瑠威、本人だ。手始めに伝えてやらなければいけない事がある。 マナーモードにしていた携帯が震え出す。そろそろタイムリミットなのだろう。 「佳威。番うなら運命にしろ」 「運命?…さっきから意味分かんねえことばっかり、なんなんだよ」 「運命の番なら必ずお互いが惹かれ合う。よっぽどの事がない限り結ばれる。泣くことも喚くこともきっとない。だから佳威には運命の番を見つけて欲しいと思ってる」 「……何が言いたいんだ」 佳威の顔が険しくなる。その顔は実の息子でさえ頭が上がらない父親にそっくりだった。 わざわざ嫌な役をしなくてもいいのに、と瑠威は脳内で密かに自分の頭を自分で撫でてやる。 しかし全ては佳威の為だと心を鬼にした。 「あの子は、佳威の運命じゃない。運命は相手を見間違えない」 「んなこと分かってるっつーの」 佳威の反応は瑠威が想像していたものとはかけ離れたものだった。 もう少し驚いて、きっと少し傷付いた顔をする。そう思っていたからこそ躊躇いがあったというのに。 佳威は顔色を変えることもなく、さも当たり前だと言わんばかりの返答だった。 「あいつの運命はだいたい分かってる」 「!…居るのか?あの子の傍に」 「…傍かどうかは分かんねえけど。何となくの予想だし、真実は知らねえ。睦人も分かってないみてえだしな」 「…教えては、やらないのか」 いつの間にか肩入れしているような発言に瑠威は自分で自分に笑いそうになった。 どうにも憎めない。実はちょっかいを出した時にほんの少し漏れ出したフェロモンの香りが離れなかったりする。久々のΩの香り、あれは卑怯この上ない。 「教える…?…ああ、そっか。思い付かなかったわ」 佳威がハッと短く息を吐くように笑った。その笑顔が久しぶりに自分に向けられた笑顔のような気がして気持ちが高揚しかけた瑠威だったが、笑顔の意味も分かっているので安易に表情には出さない。 ただ分かってしまう。佳威が自分の嘘にすぐ気付いたのと同じように、気付いてしまった。 瑠威はそれ以上深く踏み込むことはなく、ただ一言「そうか」と返した。

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