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「失礼致します。お車の準備が整いました」
綺麗な男の人はやわらかな笑顔で、扉の外からお辞儀をした。
あの人は確か前に親父さんの会社の前で会った人だ。会ったと言っても俺は一言も言葉を交わしてはいない。
有紀が親しげに会話をしていた記憶はあったが、やはり「あ!」と声を上げたのは有紀だった。
「灰崎 さんだ〜」
「お疲れさま、有紀くん。代表、ご連絡頂いたアルバイトの契約書もお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう。有の隣にいる彼が来てくれることになった。浅香 睦人くんだ。睦人くん、契約書に一応目を通して問題無ければ署名と捺印お願いできるかな?」
親父さんが俺を紹介してくれて、有紀に「灰崎さん」と呼ばれた男の人が俺を見た。
灰崎さんは嫌味のない笑みを崩すことなく、部屋の中へ一歩足を踏み入れる。
手に契約書らしきものが入っているだろう封筒を持っているうえに、親父さんの会社の人だと分かって俺も急いで立ち上がった。
「初めまして。黒澤の秘書をしております灰崎と申します」
「は、初めまして!浅香です」
「こちらが当日のスケジュールと契約書です。契約書ですが、こちらはまた来週一緒にお持ちください。もし不明な点などございましたら…」
「意味分かんないとこは俺が教えるから大丈夫だよー!」
灰崎さんの話の途中で後ろから声が飛んできて、振り向くと有紀が楽しそうにこちらを見上げていた。
「そう?じゃあ有紀くんよろしくね」
「ごめんね、有くん。睦人のこと頼むよ」
有紀に向かって灰崎さんは笑みを深める。続けて俺の父親が有紀に声を掛けた事で、灰崎さんの視線は部屋の奥へと向かった。
灰崎さんと目があったのか父親が「どうもどうも初めまして」とこちらでも挨拶が始まり、さらに親父さんを含めて大人だけの会話へと発展していく。
俺は椅子に座りなおして灰崎さんから貰った封筒を持ってきたカバンに仕舞い込んだ。
車来たって行ってたし、そろそろ帰ったほうが良さそうだな。有紀も隣で欠伸してるし。眠そうだ。
「じゃあ俺…」
「涼太さん」
そろそろ帰ります、と席を立つより少し早く渥がガタッと椅子から立ち上がった。
「今日はありがとうございました。楽しかった。この後も楽しんでくださいね」
「渥くんありがとう。子供達と話せて私も楽しかったよ。また家にも遊びにおいで。いつでも待ってるから」
「またお邪魔しますね。…失礼します」
子供達、と俺たちを一纏めに呼ぶ父親に向かって渥は穏やかに笑うと、親父さんと灰崎さんを見ることなく部屋から出て行ってしまった。
姿が見えなくなって、何故か俺も慌てて椅子から立ち上がる。
「りっちゃん?」
「ご飯!ご馳走様でした!美味しかったです!あとアルバイトのやつ、来週よろしくお願いします…えと、俺も帰ります」
「じゃあ俺も帰るー」
父親と親父さんがそれぞれ気を付けて帰るようにと口にしてくれたが、正直なんて言われたか細かくは覚えていない。
ただ離れて行く渥の姿を見て、今は一人にさせたくないと感じた。でもそう感じた理由が明確には分からなかった。
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