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そうきたか、と灰崎は一旦黒澤から離れ、黒澤のレザーを使用したビジネスバックに手を掛ける。 黒澤は持ち物へのこだわりが強い男だ。 持ち上げたカバンだって、つい先日買ったばかりの海外ブランド製のもので、余程気に入ったのか灰崎の分まで同ブランドで買って帰ってきた。 もちろんデザイン違いだったが、二つ合わせていくらしたのかを考えるだけで貧血を起こしそうになった灰崎だ。 しっとりと吸い付くような革に手を添えながら、鼻で笑った上司の横を通り過ぎ扉の前に戻る。 「笑わせるつもりはさらさらありませんし、そのことについては昨日謝ったでしょう。…あなたの嫌がらせの所為で、ただでさえ低い私の株は大暴落ですよ。睦人くんの傍に居ることさえ、気にくわないようでした」 「仕方ないさ。あれは昔からあの子と仲が良かったんだ。久々に会えたのにお前とばかり話しているのが癪だったんだろう」 「あなたもわざとらしいですね。彼がそんな子供っぽい理由を持つような人間ですか。それに…私は少し心配です」 「心配?なにがだ。渥のことならお前に心配されることすら余計なお世話だと怒るんじゃないか?」 「ええ、もちろん。渥くんならそうでしょうね。だから、そちらの事ではないんです」 ドアノブに触れようとしていた手が止まる。 何かを思い出すように一瞬扉を見つめ、一呼吸置いたあと背後に立つ黒澤を振り返った。 「渥くんじゃなくて、有紀くんの方ですよ」 「有紀?」 「最近の彼を見ていると、なんというか…随分と危なっかしい雰囲気を感じる時がある」 「はっ、何を言うかと思えば。あの子がそんな難しいことを考えるような子じゃないのはよく知ってるだろう。いつも単純明快じゃないか」 灰崎の心配を笑い声と共に一蹴した黒澤は、扉を開けるよう目で促す。 渋々体を扉の方へ戻した灰崎だったが、顔を見れば納得していない事が容易に想像できる。 しかしこれ以上グダグダとやっているわけにもいかない。仕事だ。脳内では本日のスケジュールが分刻みで回っている。 灰崎は目の前にあるドアノブに手をかけながら、「…だといいんですがね」と小さくこぼした。

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