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14「A」◎
様子を見る限り、暫くは平穏に過ごせているようだった。
時折、視線は合うものの渥の言葉がよっぽどこたえたのか、話し掛けてくることを躊躇しているような仕草。
そのうち周りの睦人に対する物珍しさから来る関心はどんどん低くなって行き、渥も学校にいる間は睦人の動向を遠目から見守るぐらいで、このままどうか卒業まで平穏に過ごして欲しいと願っていた所だった。
ちょっとしたトラブルが起きたのは――
『……だから、俺はΩじゃ』
『まだ言ってるの!?……分からないなら、分からせてあげるから。ミキにはミキのことを大好きなオトモダチがいっぱい居るんだから』
Ωの女を取っ替え引っ替えしているある種の有名人・矢田春行の現番候補とやらが、睦人の手を引っ張って校舎裏に走っていくのを目撃してしまったのだ。
近くに光田達の姿はなく嫌な予感に舌打ちをして後を追ってみれば案の定、脅されている真っ最中。
話し掛けるなと忠告した身なのでしばらく様子を見ていたが、不穏な空気は濃くなるばかりで渥は仕方なく仲裁へ。
無事矢田にお騒がせ女を引き渡し、誰も居ない場所に二人きりになると、睦人は溜まっていた鬱憤を吐き出すかのように文句を口にした。
『渥…お前……』
『ん?』
『俺に話しかけるなって言っただろ』
『……第一声がそれか』
桐根学園から今の学園に進学し、随分この手の掛け合いから遠ざかっていた気がする。
αでもない、跡取り息子の黒澤渥でもない。
荒木渥だった頃の自分に戻れたような感覚に何も考えずに笑ってしまう。
渥自身は無意識だったが、睦人が現れてから素で笑う事が増えていた。
負のイメージが浮かばない睦人の能天気とも取れる言葉選びに、心が柔らかくほぐれ、あたたかい陽の光を浴びる。
そんなイメージに、知らないままでいた方がいいと無意識に閉ざしていた部分までも開いてしまった。
『睦人はΩか』
『な、んだよ…!…そうだよ!αじゃなくて悪かったな』
瞬間、再会時の衝撃に対しての謎が解けた。
小さい頃から一緒だった相手に感じた初めての感覚。
睦人だけが鮮明に色を宿していた意味。
本当は昔からあんな風に見えていたのかも知れない。
――なるほどね。
そういうことだったのか。
……睦人。
お前が俺の《運命の番》なんだな。
Ωを嫌悪している俺の、唯一無二の幸せのΩ。
『あーあ』
沸き上がって来たのは、胸焼けをしそうな程に甘い愛念とコントロールの難しい凶暴な感情だった。
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