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06
ああ、まただ。
またこの衝動。
自分が嫌になる。でも今度は同じようにはならないし、させてはいけない。
そんなことをすれば、渥との距離がきっとまた離れてしまう。それだけは絶対に避けたかった。
渥に話しかける余裕もなく目を逸らし、ソファーの脇に置いていた荷物の前にしゃがみ込む。
「おはよう、睦人」
そんな俺の頭上から、耳朶を撫でるような艶やかな低音が降ってきた。
そろりと視線を上げると、目を細め口元に薄っすらと弧を描く渥の端正な顔。緩やかに長い睫毛が目元に影を作った。
「…お、はよ」
「よく寝れた?」
「あ、うん。寝れた…」
気付いてるのだろうか。
自分ではどれほどのフェロモンが体から発せられているのか分からない。だけど渥の纏う雰囲気が先程までと違うことは何となく分かった。
「まだ寝てろよ。それとも腹でも減った?」
「…いや、ううん。大丈夫だ」
首を振る。渥のいるこの場で探すのはあまり得策ではないと考えた俺は、すぐに荷物を抱えて先ほどの寝室まで戻ることにした。
寝室に戻ると、早く早くと急かす気持ちを何とか落ち着かせながら鞄に手を突っ込む。ゴソゴソと探るが抑制剤のシートが手に当たる固い感覚もなく、こうなったらと財布と同じように鞄の中身も床に散らばせた。
入っているのは制服や下着などの衣類と、携帯の充電器。それだけだった。
もちろんそれだけしか入れた覚えが無いので何もおかしくは無いが、では抑制剤はどこに?という話になるわけで。
「…なんでだ…なんでよりによって今なんだよ…!」
無い筈はないが、無いのならば他にどうすればいい?考えないと…まだ意識がハッキリしてるうちに考えなければ。
パッと部屋に掛けてあった時計に目をやると時間は16時を指していて、やはり昨日抑制剤を飲んでから24時間を過ぎてしまっている。
しかしまだ16時なら土曜日でも空いてる病院があるはずだ。
この状態で外に出るのはかなりの勇気がいるが、今はそんな事も言ってられない状況にある。こうなったら病院で抑制剤を処方してもらうしか手はない。
抑制剤自体はドラッグストアやコンビニにも置いてはあるのだが、処方箋のいらないものは効き始めのスピードが遅いと聞くし、即効性が必要な今の俺にはいささか不向きだ。
何より俺は休薬期間が持てないから昨日飲んだ種類のものしか飲めない。と、なるとアレは確か処方箋が無いと出して貰えない種類の筈。
とにかく、渥に迷惑を掛けることだけはしなくなかった。
「睦人」
突然、背後から渥の涼やかな声が聞こえてきた。
反射的に背筋が伸びて、勢い良く振り返ると渥が部屋の入り口に立っている。
部屋の中は電気が付いていないので薄暗く、廊下の明かりで渥の顔に影を作る。
どんな顔をしているのか一瞬よく見えなかった。
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