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有紀は握り締めた自分の手を見下ろした。
どうしてだろう。体調が悪いわけでも寒いわけでもないのに、僅かに手が震えている。
初めて沸き立つ感情。これに名前を付けようにも、最も近いものを言葉で表現する術が思い付かない。畏怖。焦燥。嫌悪。当て嵌まるものはどれなのか。
自分の言葉を待つように見下ろす渥の表情が読めず、有紀は構えていた言葉を吐き出す前に一度小さく息を吐いた。
そして、再び己の拳から視線を上へ上げる。
交じり合う視線にいつからだ、と考えた。
いつからだろう。
時折見せる実の兄の顔が、怖いと思うようになったのは。
「リクと番になるつもりがないなら…俺だろうと佳威クンだろうとどちらが手にしても構わないなら…渥は手を引いてよ」
有紀はまるで祈るような気持ちでその言葉を口にした。うん、と。そうか分かった、と頷いて欲しい。
有紀が十数年間見てきた顔はしばらく無表情だった。無表情のままでいて欲しかった。
弟の言葉を最後まで静かに聞いていた渥の口角が、ゆっくりと上がる。
「誰が手にしたくない、と言った?」
ゆっくりと艶やかに変わる表情に有紀は目を奪われる。誰もが羨む容姿の男が綺麗に微笑むのだ。見られることに慣れていて、見せつけるように。
無意識に体が強張る有紀の胸倉に腕が伸びた。決して乱暴ではないが、優しくもない強い力で有紀の体は引き寄せられる。
「俺はあいつが誰と番になろうとも構わない。傍に置く。婚姻することが一番てっとり早いなら、籍を入れる。ただそれだけだ」
「…意味、わかんない…なにそれ」
初めて吐露された渥の本心、と取ってもいいのかさえ分からない言葉たち。
他者からすればどうにも違和感を感じる言葉だ。有紀の純粋に好きだと言う気持ちとは確かに違うのに、同じくらい強い意志が感じ取れる。複雑な感情論に余計に脳が混乱して有紀の視線が左右に揺れる。
言葉の真意を探しあぐねている様子の弟を見て渥はパッと手を離した。
「……あの時、あのまま、離れ離れになった方が良かったのにな」
反動で少しよろけた有紀に、小さく呟かれた台詞はしっかり聞こえていた。
反論はない。
有紀とて、離れたくないと、ずっと傍に居たいと願っていたのは事実だが、睦人にとってあの優しい幼馴染にとって自分が従順なだけの男ではないことを自覚している。
無言のまま視線を外した有紀を一瞥して、渥は踵を返す。
――大変な奴に目を付けられて、可哀想に。
「…ほんとに、可哀想なやつ」
誰に言うでもない独り言を呟いて、渥と有紀の距離は静かに離れて行った。
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