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デッドヒートと恥の上塗り。①
打順はゲームの相手によって変わるらしいけど、上位打者に必ず入っている。
海外の選手みたいに筋骨隆々とした感じではないし、あと1㎝、180には届かないと本人が言っていた。
グローブの先ぎりぎりをすり抜けていきそうな打球をスライディングキャッチでグローブに収める。
そのまま立ち上がり、鋭い送球をファーストミットに投げる。
一連の流れが全てごく当たり前に見える。
多分それはファインプレイのはずなのに、全くそれを感じさせない。
外周を走るコースの中で、野球部の練習場が見える場所だけペースが落ちる。
バスパンが風に靡いて、後ろから来たほかのメンバに追い抜かれる。
遠目に見るのに、笑った時の歯が、梅雨の晴れ間に滲んだ汗が、光を反射して見える。
恋愛って、こういうものなのか。
痘痕も笑窪とは言うけれど、ただ誰にでも向ける笑顔が、ただ滲んだ汗が、こんなにも魅力的に見えて、
「……転部しようかな」
遠く、ノックを終えてベンチに戻っていく後ろ姿に思う。
世界が一変してしまうようなそんな美しさを孕んでいる。
あの胸に抱かれて、あの背中に腕を回して、触れられて、耳が遠くなるほどの、頭がおかしくなるほどの甘い時間を過ごして、
それなのに、もっと、もっとが止まらない。
「辞めた方がいい」
くしゃりと髪を乱されて背後を見た。
部長会議で遅れてきたはずの優太が三つ子の兄の方を見ながら呟いた。
「小松崎が入部したら、啓太は野球どころじゃねーよ」
優太は、眞澄を名字で呼ぶ。
呼んで、すっと横を抜いていく。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味」
それは啓太とは違う。
フラットな話し方は、啓太とも翔太とも似ていない。
いつも何を考えているのか今ひとつ、わからない。
「お前は単純だな」
「どういう意味ですか」
馬鹿にされたような物言いに眞澄は同じ言葉を繰り返した。
「そのままの意味」
同じ言葉で返されて一層カチンとくる。
「だから……」
「好きだから傍にいたいのは判るけど、そうやって自分を相手と同じ色にしてどーすんの?」
眞澄より速いペースで走っているのに、優太の息は全く上がっていない。
コンパスの差があるのは判っているが、それにしたって優太のペースは速い。
「啓太が好きなのは、今のお前だろ」
なんてことはない顔でそんなことを言われたら、心臓がぎゅっと締め付けられる。
走っているからだけではない心拍の上昇が呼吸を苦しくする。
でも、優太に負けるのは嫌で、その背中についていく。
さっき自分を抜いて行ったはずの部員が、振り返って、そのまま抜かれていく。
「それと、今の話と、何の、関係が、あるんですか」
「無理して取り繕って、上辺だけ自分に合わせる小松崎真澄を、啓太はどう思うかなって」
上辺だけ。
皮膚の表層をざらりとした何かで撫でられるような緊張感に、身震いした。
「あれ?」
真横で優太が間の抜けた声を出した。
心臓が痛くなるような緊張を気取られないようにペースを上げる。
上辺。
上辺。
人の深いところなんて、見えない。
見えないのに、それを指摘されてフラれた自分を思い出す。
中1から好きだった人。
吹奏楽を捨てて、バスケ部に入った自分。
5科の平均点死ぬ気で上げてこの高校に入学した自分。
全部否定された。
好きだった。
多分あれだって本当の恋だった。
誰よりも高く飛んで、誰よりもきれいなシューティングフォームで、誰よりも優しくて、
誰にでも優しくて。
今更未練はないけど、自分を変えることなんてできない。
少しでも傍にいたい。
離れていたら不安。
女々しいのかもしれない。
でも、好きな人に『合わない』と思われるより、『合う』と思われる方がいい。
その方が、視野に入る可能性が高いに決まってる。
外周の最終を回って、ゴール地点に倒れ込む。
息を切らして仰いだ空に大写しの優太が覗き込んでくる。
「大丈夫?」
返事もできずにただ首を縦に振った。
「まあ、純粋に啓太の理性が持たないっていうのもあるんだけどね」
シャツの捲れた隙間から、肉付きの薄い腹を優太の指が押す。されるがままで野球部のグラウンドを見る。
まだ真新しい練習着に身を包んだ1年生が啓太に何か話しかけているのが見えた。
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