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仲直りの③

 ちゃんと言わなければ伝わらないと言うことがわかった。ちゃんと理解できた。  「はい」  小さな音を立てて目の前にマグが置かれる。啓太の部屋に置くために買った淡い空色のマグカップには麦茶が注がれていて、その匂いが夏みたいだった。  「そろそろ、グラスも置く?」  「したら、俺、今度持ってきます。」  「夏終わったら一緒に買いにけるかもしれないけどなー」  他愛もない会話が、何となく、その場を誤魔化しているみたいに上滑る。  目の前に座った啓太が、マグカップに口をつける。  座卓に数Ⅱの教材を置いたままで正座していた。腿の間に両手を差し込んで、何から話そうか、精一杯(こうべ)を巡らす。  でも、結局、何から話せばいいんだろう。  ちゃんと、避けていたことを話さなきゃいけない。何で避けていたのかも、話さなきゃいけない。自分の恥ずかしい想像も、欲求も、全部?  少なくとも、数学の質問に逃げるのはダメだ。それと、なんにもないように誤魔化すのも、ダメだ。  なにから、話せばいいんだろう。  自分の中身全部さらけ出すようなこと。  ―――全部?  こんな異常な自分の想いを受け入れてくれただけでも幸せで、稀有な僥倖で。その上でさらに、  ーーーこんな、エロい欲求、さらけていいんだろうか。  好き。  だから触れたくなる。  と。  好き。  だから、変に思われたくない。嫌われたくない。  が、混在する。  難しいなぁ。  変だと思われないように、自分の欲求を満たすことは凄く難しい。難しいけど。  マグカップについた唇の色。少し上がった頤。伸びた首元溜飲に動く凹凸。すぐ下アンダーシャツが、張り付いた首筋。  その首から繋がった鎖骨の窪み、まで、浮き立たせる薄いシャツ。  そのシャツすら取り払って、肌に触れたい。ぴったりと、その肌に肌を重ねたい。  この間みたいにシャツ越しじゃなくて、全身、ぴったりくっつきたい。  その手に触れてほしいだけじゃなくて、裸で抱き合いたい。  しっかりした胸に、ぴったり、くっつきたい。  「……俺は」  柔らかい、耳に馴染む声に、視線をあげる。  まっすぐにこちらを向いた精悍を見ていた。かち合った視線に、舌先で唇を潤わせて目が逃げる。逃げた視線は逡巡の後ですぐにまっすぐ、強い力を持って眞澄に向かってくる。  「この間、少しやり過ぎたのかと思って、謝った」  強い眸の中はまだ、惑ったままで少し揺らいでいる。  「全然見当違いで、俺が気がつかない内に眞澄を怒らせたり、傷つけてたらと思ったけど、やっぱり、俺が思い至るのはそれしかなかったから、思い至ることを謝った。」   人の想いを、全部見抜くことはできない。出来ないけれど、それをどうにか探して、慮って、汲もうとすることはできる。  そして、啓太はそれを厭わない人だ。  ちゃんと向かい合って、くれる人だ。  「俺、は。」  ちゃんと、向き合わなきゃいけない。  誠意には誠意で応えなきゃいけない。

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