59 / 67

仲直りの④

 「俺は、」  怒っていたとかじゃ、なくて。  いい掛けた言葉に被さって、ノックの音がする。慎ましやかで無礼な音が、話の腰を折った。啓太は息を吸い込んで、吐き出す。苛立ってささくれた表情を噛み殺したのが判る。  意外と、啓太は判りやすいみたいだ。  「ごめん、ちょっと待ってて」  マグをおいて立ち上がると、絞まったウエストが際立った。背中の筋肉の形が、黒いアンダーに浮き上がっていた。  ーーー俺は、  怒ってない。むしろ、謝らなきゃならないのは、自分の方で、  考えながら、来客が気になってしまう。  見えないで入り口から幽か聞こえる声は穏やかで、来客が左右の隣人ではないことを告げる。  ―――なんか、落ち着かない。  胃の底がぞわぞわするような据わりの悪い感じだ。  「ごめん」  扉の閉じる音の後で本気で焦った顔。手に握ったバッティンググローブ。  「1年が、俺の革テ持ち帰っちゃったらしくて」  通りで見つからないわけだよなぁ。  からりと笑った顔はその後輩にも見せたものだろうか。  ちくり、  と、心臓の裏を針が刺す。  それは得体の知れない、不思議なもので、眞澄は訝しみながら自分の胸に手をやってみた。  痛みはそれ自体が幻覚だったみたいに胸から失せていた。  「それで、眞澄は」  急くことのない目差しが、柔く眞澄を見ていた。それは胸に別の高鳴りをもたらして頬が熱くなる。  「俺、は。」  どこから切り出したってそれは赤裸々な話になる。  どこから、切り出したって。  恥ずかしくて、不安で胸が詰まって言葉が張り付く。張り付いた言葉を剥がして、唇を噛んで。  もどかしいばかりの思考時間を啓太は黙って待っている。机におかれたバッティンググローブがいやに目につく。  「俺は、俺が、ヘンだったから」  いつもぎこちなくてどこかヘンなのかもしれないけれど、それ以上に。  「ずっと、この間のこと、反芻しちゃって」  もっともっとが、止まらなくて。  「先輩といると、思い出しちゃうから」  言葉にして見ると、自分がいかに自分勝手な理由で啓太を避けていたのかが判って愕然とする。  ―――避けていたんだ。  それは、間違いなく。  ―――謝るべきは、俺なんだ。  勝手に思い出して、妄想して恥ずかしくなって、バカになって、啓太に謝らせて、歩み寄って、もらって。  ―――うわ。  どうしよう。凄く、申し訳ないのに、こんな風に悩んで、誠実に向き合って貰えて、話すチャンスをくれて、  ―――申し訳ないのに、嬉しい。  心臓がぎゅっと締め付けられて破裂しそうに膨らんだ。肺一杯に酸素を取り込んだとき、先輩の匂いがした。目の前が霞む。  「ごめんなさい」  頭を下げると、今にも泣き出しそうな自分が麦茶の水面に写る。  「俺が勝手に想像して、期待?して、恥ずかしくて、先輩と話せなかったんです」  なのに、頭を下げさせてしまってすみません。心配させてすみません。歩み寄ってくれてありがとう。なにも聞かずに去らないでくれて、嬉しい。  伝えたいことはいっぱいあるのに、言葉にするのは覚束なくて困る。  言葉にできない分の想いが、目から溢れそうで困る。  

ともだちにシェアしよう!