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第4章ー3
「勝手に行こうとするな。俺の神域内は複雑な迷路のような構造になってる上、普段は外界との道を遮断してある。どれだけ歩き回ったところで出口など見付からないぞ。迷った挙げ句飢え死になんてしたくないなら大人しくしていろ」
呆れたようなイザナの声が聞え、襟首を掴んでいた手から解放される。身動きの取れるようになったクガミは、先ほどまで襟を掴まれたことで絞まっていた首元を擦りながら振り返った。
考え事をしていたから、そのまま逃げ切れるかと思っていたが、やはりクガミの考えは甘かったようだ。それに、イザナが言ったことが本当であるならば、クガミは一人でこの神域内から出られないということになる。
「……だが、さっきも言った通り俺はヨキを探さなければならないんだ。だから、ここから出して欲しい」
クガミは急く心を宥めながら、深く腰を折り頭を垂れた。ヨキを一刻も早く見つけ出すためならば、嫌いな相手に頭を下げることなど大して問題にもならない。
頭を下げ続けるクガミの耳に、はあっ、イザナの大きな溜息が聞えた。
「……お前、ここは櫻ノ国だぞ? 土地は広大だし、首都に集まる人間だけでも数十万は軽く超える。国全体ともなると、一体何年かかるか分からないぞ? それでも探すというのか?」
「それは、俺もわかっている。それでも、見つけ出さなければならないんだ」
イザナに言われずとも、天津大陸一の広さを誇る櫻ノ国で人一人探し出すのがどんなに困難な事であるかクガミにも想像がつく。それでも、ヨキの身に何かあったらと考えるとジッとしてはいられなかった。
暫し沈黙が続き、クガミはそろりと顔を上げた。やはり、駄目だったのだろうか? 自分としては真摯に頼み込んだつもりだったが、イザナの心を動かすには足りなかったのだろうか?
不安ばかりが心の中を占め、クガミが唇を噛み締めていると――
「やはり、お前をこのまま帰すには惜しいな」
イザナの楽しげな声が耳に届いた。一体何がイザナの心の琴線に触れたのか分からないが、クガミにとっては最悪の方向で気に入られてしまったようだ。これならば、気に入らないと言われ神域を追い出された方がよほどいい。
(いや、それよりも……)
いい加減うんざりしていたクガミは顔に苛立ちを滲ませながら、イザナを見た。さきほどから思っていたが、この男はどうしてこうも話を聞かないのだろうか。
「だから、俺はヨキを探さなければならないと言って――」
「方法はある。が、お前の態度次第だな」
“言っているだろ”と続くはずだったクガミの声は、イザナの低く甘い声に掻き消されてしまった。しかし、クガミにとっては最早そんなことはどうでもよく、イザナに苛立っていたのも忘れ彼に詰め寄る。
「教えてくれ!! 頼む!!」
縋りつくようにイザナの着流しの胸元部分を掴み、懇願する。
クガミの剣幕に驚いたのか、イザナの赤い眼がまあるく見開かれていた。が、すぐにそれは余裕を持った笑みへと変わる。
「それならば、まず俺が言った通り食事を済ませろ。話をするのはそれからだ」
そう言われてしまうと、クガミはもうイザナに従うしかなかった。
「…………わかった」
と、渋々答えたクガミはイザナの着流しを掴んでいた手を離す。そうして、緑と桃に色づいた地面に腰を下ろした。
どうにも座りの悪さを感じるが、椅子も座布団もない場所でそれを望める筈もない。
「食事を持ってくる。少しここで待っていろ」
そう言って、イザナが行ってしまった。薄桃色と緑ばかりの景色の中に溶けていくように消える後姿を見つめながら、クガミは考え事をしていた。
一体この桜ばかりの場所で、どうやって調理したというのか。いや、神も人と同じように食事をするのか、とか。神が食事を作れるのだろうか、とか。食事以前にこの神域内に食べられるものが存在するのだろうか、とか。考えれば考えるほどに不安が募っていく。
が、イザナが用意した食事を実際に目にするとそんな不安は綺麗さっぱり吹っ飛んでしまった。というのも、イザナがクガミのために用意してくれた食事は普段クガミが口にしていた物とあまり変わりがなかったからだ。
「すごい、な……」
自然と感想が零れる。イザナが持ってきた膳の上に並んだ料理の数々に、クガミは見入っていた。
稗や粟、他にも数種類の雑穀が混ざっている飯が茶碗によそわれ、汁椀の中には肉や野菜の入った味噌汁。桜の花びらがちょこんと上にのった小鉢の中身は、魚の干物を水で戻し、調味料で煮込んだものだ。他にも、芋や野菜の焼き物が小皿に盛り付けられていた。しかも、どの料理もまだ湯気が立ち昇っているほどに温かい。
「心して食え。俺が人間のために飯を作るなど、初めてのことだからな」
クガミは、ふんぞり返るイザナと食事を交互に見詰める。
「……いつも、こうやって食事をとるのか? それに、食材はどこから――ああ、あとどこで作っているんだ?」
いつになく饒舌に、矢継ぎ早に質問をすると、イザナがクガミの手に箸を握らせてきた。
「冷めるから、早く食え」
話はそれからだ、とでも言うようにイザナが口を閉ざし、膳を挟んでクガミの向かいにどっしりと腰を下ろした。
クガミは握らされた箸に視線を落とす。樹の小枝を刃物で削り加工したのだろうそれを右手に持ち、暫し悩む。が、ここ数日は干した飯や木の実、荷物の中に入っていた干し肉など簡単な食事しかしていなかったクガミの腹は欲求に対して実に素直で、クウッと情けない音を立てた。
湯気と共に立ち昇る香りも、クガミの空腹を刺激する。意地と食欲を天秤にかけ――結局、食欲に傾いたクガミは汁椀を手に取るとゆっくり口をつけた。
「……美味い」
咥内に広がる味噌の香りと肉や野菜から出た旨味にクガミは感心しきりだった。宵ノ国では野菜や肉は高価なため、味噌汁や汁物に入れる具はどうしても魚や塩味の強い保存に適した干し肉、それに比較的安価に手に入り保存に適している豆類になってしまう。それ故に、味付けが濃いか薄いかの両極端な料理が多く、イザナの作った料理のように繊細な味付けのものを食べるのはクガミにとっては初めてのことだった。
先ほどまで、料理を口にするかしまいかで躊躇っていたのが嘘のようにクガミは次々に箸をつけていった。飯も、魚も焼き物も。どれもが美味しく、クガミは「美味い」ばかりを口にしながら、夢中で食事を進めた。
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