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第4章 6

 イザナが自分を見つけていなかったら、イザナが言った通り消滅してしまっていたのだろうか。その最悪の状況を想像してしまったクガミは、身体をぶるりと震わせる。イザナに出会ってしまったことは自分にとって不運だと思っていたが、事実を告げられた後になって考えてみると幸運だったのかもしれない。  しかし、そうは思ってもあの行為自体を肯定することは出来ない。 「……アンタの力を取り入れた、ってことは、もう大丈夫なんだろう?」  クガミの声には、あんな屈辱を味わうのは二度と御免だ、といった気持ちが滲んでいた。しかし、そう簡単にはいかないようだ。イザナが、いいや、と言葉を紡いだ。 「まだ完全に馴染んではいない。だからこそ、定期的に俺の力をお前の中に入れる必要がある」 「ッ、また、あんなことをするのか?」  クガミは反射的に立ち上がり、身構える。手負いの獣が警戒するような機敏な動きをみせたクガミに、イザナがくく、と噛み殺したような笑いを向けた。 「何だ? あれが気に入ったのか?」  意地の悪さを窺がわせる揶揄に、クガミは悪趣味だ、と愚痴を溢しながらイザナを睨みつけた。 「……あんなもの、気に入るはずがない」 「そうか? 蔦を咥え込んで随分と善がっていただろう?」 「ッ、善くなど、ない」  吐き捨てるように言い、クガミは痛む頭を押さえた。イザナが揶揄する昨日のクガミの恥態は催淫効果のある液体のせいだ。決してクガミに淫乱の気がある、とかいったことではない。  まだからかい足りなさそうに唇を吊り上げたままのイザナを、クガミがきつく睨み据える。すると、ようやくイザナはもうしない、とでも言うように肩を竦めた。 「からかい過ぎたな、悪かった。それより――食事が済んだのだから、今度は身を清めに行くぞ」  イザナはそう言うと立ち上がった。それを合図にしたかのように、イザナの側からクガミを散々辱めたものとは少し違った形状の――蛇のようにも見える――蔦が数本現れ、クガミは思わず後ずさりする。  一体何をされるのだろうか、と身構えていたのだが、蔦はクガミには目もくれず地面を尺取虫のような動きで這い移動すると、膳を持ち上げたのだ。クガミには区別がつかないが、頭らしき部分で膳を持ち上げたまま器用に進んでいく様は奇妙の一言に尽きる。  唖然としてその様子を眺めていたクガミの手を、イザナが引いた。 「さあ、行くぞ」  クガミの返事も待たずに歩を進めようとするイザナに、クガミは待て、と声をあげた。 「俺は、行くなど一言も言っていない」  勝手に決めるな、とクガミはイザナの冷たい手を振り払う。身体は綺麗に拭われていたとはいえ、まだ腰の奥の違和感が消えない上に、なんだか青臭い匂いが身体にこびりついているような気がしてクガミとしても身を清めたいところではある。が、イザナに言われてそうするのは何だか癪だ。特にからかわれた後というのもあって反抗的な気持ちになっていた。  しかし、イザナは一度振り払われたにも関わらず、クガミの手を掴み歩き出す。  この手の相手には何を言っても無駄かもしれない。クガミはひっそりと溜息を吐くと、イザナに手を引かれ仕方なく歩き始めた。  そうして、歩いてものの数分もしないうちにクガミ達は目的地だと思われる泉のほとりへと辿り着き、足を止めた。  ずっと前を向いていた上、真っ直ぐに歩いていたはずなのにイザナが足を止めるまで泉の存在に気がつけなかったのは、やはりここがイザナの言った通り不可思議な力が働いているからかもしれない。  クガミは、本当に唐突に目の前に現れた泉に見入っていた。というのも、大人の足で数分も歩けば周りを回り切れてしまう大きくも無いその泉は、澄んだ水をなみなみと湛えていたからだ。  水際の縁に手をついて覗き込むと、底まで見通せる透明度のある水の中を白魚のように透き通った身体を持つ不思議な魚が泳いでいるのが見えた。  一体何という魚なのだろうか?  疑問に思ったクガミは、自分の背後に立っているであろうイザナの方を振り向いて――、いきなり上から降って来た白い何かを顔面で受け止めてしまった。  クガミは視界を覆う白いものを煩わしさを感じながら剥ぎ取った。  開けたクガミの視界の中、自身の手に握っていたのはさらりとした肌触りに、汚れの一つもない綺麗な布だった。一目で高級だとわかるそれとイザナを交互に見比べる。恐らく、“これで拭け”ということなのだろうが、それならば手渡ししてくれた方が親切ではなかろうか。  喉元まで出かかった不満を押し込めながら、手元の布を握り締めていると「あと、着替えは“そこ”だ」とイザナの声がした。  そこ、とイザナが顎をしゃくって指したのは、泉の側にある大きな灰色の岩の横だった。いつの間にか、綺麗に折り畳まれた衣服が置いてある。  ありがとう、と言いかけ、クガミは口をつぐんだ。  半ば無理矢理連れてこられ、身を清めることを強制させられているというのに、着替えを用意してくれたからといって礼を言うのもおかしな話だ。  クガミは無言のまま着ていた小袖の紐に手をかけた。が、無遠慮に突き刺さるイザナの視線を感じ、イザナの方へと顔を向けた。 「ずっと見ているつもりなのか?」  神に性別が存在するのかは不明だが、外見から察するにイザナは同性だろう。肌を見せることに対して躊躇はしないが、相手から嘗めるような視線を向けられるのであれば、話は違う。  暗に、立ち去れ、とクガミは視線で訴える。  しかし、イザナはクガミの視線に込められた意味を分かった上で、 「なに、俺のことは気にするな」  と、涼しげな表情で泉の傍に生える桜の幹に背を持たれかけさせ立っていた。暫く睨みつけてみたが、イザナは早く入れとばかりにひらひら手を振るだけで、場所を移動する気配が無い。  これは何を言っても無駄だ、と理解したクガミは小袖や袴に手をかけ、潔く脱いだ。そうして、裸身に纏わりつくイザナの視線から逃れるようにさっさと泉の中へと入ってしまった。

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